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 第三章 商品の生産と流通
   第二節 鉱工業の進展
     三 打刃物と鋳物
      鎌行商
 府中の鎌が越前鎌として全国的に普及したのは、鎌行商人の力によるところが大きかった。次項で述べるように、越前からは漆掻き職人が、全国とくに中部・関東・東北地方へ出かけていたが、彼等の中から鎌行商人に転職する者が多くなって、急速に鎌の販路が広がったのである。転職の理由は、漆掻きよりは労働が軽易なこと、収入が多いことなどであった。農間余業の行商として、鎌は農家の必需品・消耗品であり、鎌一丁の重さは三〇匁(約一一〇グラム)から一〇〇匁ほどでかさばらず、腐敗や変形がなく、さらに漆掻きの作業場の農家がすべて得意先という好条件であった。越前鎌は山地で使用する木鎌や下刈鎌などの厚鎌が主に売られ、次第に平地の鎌の販売に広がっていった。
 鎌行商人は前もって荷物を商人宿または滞在する農家に送り届けておき、そこを拠点にして周辺の農村を巡回した。漆掻き職人や鎌行商人を多く出した今立郡の服部谷・水間谷では、文久(一八六一〜六四)の頃に三〇軒の行商人がおり、彼等の一年間の平均収入は米三五俵で、酒造家の米五〇俵に次いで二位であった。ちなみに漆掻き職人の収入は米八俵であり、鎌行商人の四分の一以下であった。



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