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 第三章 商品の生産と流通
   第二節 鉱工業の進展
     三 打刃物と鋳物
      越前打刃物業の起源
 打刃物は鉄と鋼を赤く熱し槌で打って鍛接し、鋼に焼きを入れて硬くし、研磨して刃をつけて仕上げたものである。越前打刃物は近世においてはとくに鎌鍛冶が中心で、越前鎌とも呼ばれ、府中(武生)が産地であった。府中周辺の古墳から鉄鎌の出土があるが、越前鎌との関連は不明である。古代の越前では砂鉄の産地は主に坂井郡の海岸であり、中世には南条郡の日野山地域に金・銀などの金属が採掘されていたから、製鉄も行われていた可能性がある(『槌の響』)。府中は国府の所在地であったから、細工所があって鍛冶や鋳物の技術が後世まで伝えられた。南北朝から室町期にかけて越前にも刀鍛冶が来住し、府中には京都の来一類系の千代鶴と名乗る刀鍛冶が住みつき、地元の鎌鍛冶に刀鍛冶の技術を伝授するかたわら自らも鎌の鍛造を工夫し、越前鎌と称する優れた鎌を作るようになったと言う(「古刀銘尽大全」「本朝鍛冶考」など)。現在わが国の打刃物の産地で、その技術を刀鍛冶から受けたとする伝承は、武生のほかに岐阜県関市、高知県土佐山田市、長野県信濃町、兵庫県小野市・三木市などがある。
 天文(一五三二〜五五)年間には農業との兼業の鍛冶屋の中から打刃物を専門に行うようになった大鍛冶屋、西鍛冶屋の二軒がみられる(『福井県南条郡誌』)。延享(一七四四〜四八)の頃には鎌・菜刀などの鍛冶職仲間取締の書類があって二七軒の鍛冶職がいた(「鍛冶由緒書」武生市立図書館文書)。



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