目次へ  前ページへ  次ページへ


 第三章 商品の生産と流通
   第二節 鉱工業の進展
    一 鉱山の開発
      面谷銅山の稼行法と製錬法
 銅山の稼行請負人を元締といい、藩へ運上を納め金名子(金子)以下の稼行人へ仕送りをして出来銅を収めて差引勘定をした。稼行人に吹屋を所有する本金子以下、半金子・水役・金場役と称する階層が成立し、各自が鋪を持って採鉱し、手持の吹屋または吹屋を借りて製錬した。南蛮吹により製出した灰吹銀は、一仕舞分の入用炭代と見積って元締へ渡し、元締は灰吹銀は銀座あるいは銅座へ売り上げ、外字銅は大坂へ廻送し問屋を通して銅座へ売り上げた。天保十三年三月の調査では、銅山内(面谷村)の家数は七〇軒で人数四五一人、他所よりの雇人である稼人が一二一人(村人八人あり)で、惣人数は五七二人であった。このほかに医師家内三人、僧一人がいた。七〇軒のうち本金子は一〇軒、半金子は三二軒、水役は二三軒で、水役以上は世襲であるのに対し、残る五軒は一代限りの稼行人の金場役であった。村役の庄屋・膝代(補佐役)・組頭は本金子が勤めた(面谷会文書 資7)。
 一仕舞とは生外字四〇〇貫から五〇〇貫匁を製錬することをいう。荷吹・しやくり吹・外字吹・真吹によって荒銅を吹いた。荷吹は一吹一〇貫一日一〇吹で四、五日で四〇吹から五〇吹により赤湯を製し、これをしやくり吹一晩で外字を製し、さらにこれを外字吹一日で極上の外字を採り、真吹一日で荒銅とする。この工程で、しやくり尻・外字吹尻の尻銅がとれる。尻銅に対し真吹による荒銅を平銅という。以上計九日間の製錬に炭三二〇貫匁ほどが使用された。南蛮吹では合吹・外字吹・灰吹により荒銅より灰吹銀を採るが、合吹に荒銅一〇貫匁に鉛三貫匁を合わせ、外字吹により垂鉛(含銀鉛)をしぼりとって外字銅を残し、灰吹により垂鉛より灰吹銀を分離する。一般に諸銅山にて行われている外字吹の工程が、荷吹・しやくり吹・外字吹の三工程になっているのが面谷の特徴といえる。また焼鉱も行われたが、生外字のまま荷吹する場合が多い。面谷の外字は蛍石・方解石等を包含するため、熔解が容易であったためといわれる。南蛮吹は一般と変わらぬが、面谷荒銅一〇貫匁につき出灰吹銀四〇匁前後が多いとされた。



目次へ  前ページへ  次ページへ