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 第三章 商品の生産と流通
   第二節 鉱工業の進展
    一 鉱山の開発
      堀名銀山の休止
 堀名銀山の経営は文久三年頃には収支償わないものとなっていた。元治元年盆前の入用金は七七五両余となっている。ただし、このうちには職人や雇人への前貸金も多少は含まれる。
 慶応三年(一八六七)六月に稼行責任者文七等の代理人が堀名へ来て、堀名分村民の銀山所在の山地持主方へ休山を告げた。七月に村役人が連印して、稼行人庄屋弥三郎の名で、銀山鋪(掘場)内の一か年季の試掘方の許可を求めて、本保役所へ願い出た。高山役所では薩摩へ出張中の清左衛門の代人と文七に対して、試掘の件につき故障の有無を尋ねたが、八月に両人から両人稼行人の名義で、弥三郎を下請稼行人として試掘させ明年以後に運上稼行方を弥三郎へ命じられたいと述べている(日下部礼一家文書)。その後の両人と弥三郎の交渉や、弥三郎の試掘の進行状況など明らかでないが、好結果をみなかったことは確かである。



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