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 第三章 商品の生産と流通
   第一節 都市構造の変化
    二 城下町の変貌
      多様な商工業
 若越最大の城下町であった福井には、正徳(一七一一〜一六)年間に肴屋一七一人、酒舗一五三人、大工一三三人、鍛冶八〇人、石屋五四人などがいたが、享保(一七一六〜三六)年間には、肴屋は二九五人に増加し、一〇〇人以上の職種も大工・酒屋だけであったのが、質屋・鮨屋・古手屋・八百屋・米屋・塩屋・刻煙草屋・古鉄屋も一〇〇軒以上になっている(前『福井県史』第二冊第二編)。おそらく松岡藩を併合し福井藩の領知高が三〇万石になって、城下が繁栄してきたことによるものと思われる。
 小浜については、明和四年(一七六七)頃に「米舟宿 米仲 油屋 油仲 茶商 秤屋 升座 石灰座 米問屋 油問屋 茶問屋 茶仲 秤取 鍛冶 大工 木挽 儒者 医者 針治 按摩 書学 書林 桶屋 酒家 質屋 瓦屋 薬種 炭屋 磁物 魚屋 壁塗 薬湯 四十物 青物 干物 仏工 石工 植木屋 海草 砥工 硯 塗師 呉服 絹 羅 縮緬 繍工 画工 莚 若狭塗 古衣 木綿 島(縞) 布 染工 筆工 両替 座頭 瞽女 山伏 申楽 釜 舟刺 近江表 料理屋 客寺 村宿 古道具 屏風 丞々 藺莚 もち 指物屋 かし物 酒売 煙草 小間物 醤油 味噌 菓子 装外字 元結 鬢油 麩 索麪(麺) 油 酢 茶 象牙細工 金銀細工 傘ろくろ 扇並箱 煙草刻 蝋燭 塗履 塗鉢 油潦 磁石 長持 たんす 葛 糀 韈 外字巻 石塔 石臼 越前石 培養舟 導舟 人形 僧衣 ゆは」の一一二の職種があったことが知られる(『稚狭考』)。当然あるべき米屋・塩屋・豆腐屋などが欠落していて不備があるが、寛永十七年(一六四〇)・天和三年(一六八三)の職種(『通史編3』第四章第二節)と比較すると、次のものが新たに登場している。衣類の関係では、羅・縮緬・縞など、食物の関係では醤油・麩など、住居の関係では瓦屋がそれである。これらはそれぞれの商品が普及してきたことを示している。本屋である書林やこれと関係して儒者がみえるのも興味深い。また、薬湯・料理屋・客寺などのサービス業も出現している。

表74 丸岡の職業(1872年)

表74 丸岡の職業(1872年)


表75 丸岡の町別戸数と職種数(1872年)

表75 丸岡の町別戸数と職種数(1872年)

 丸岡については、明治五年(一八七二)の史料から幕末の職種を推測することができる(松原信之「丸岡城と城下町」『都市と共同体』)。表74は士族・卒族を除く六一二戸の職業を示したものである。職種数は全部で六四であるが、雇が一五二戸と二四・八パーセントを占め、次いで木綿糸外字商、大工・木挽、魚問屋・魚商、果物・菓子商が二〇戸を超える。丸岡は在郷町的性格ももっていたので、灰商や鍛冶・鍬柄などに限らず、職種の多くは城下町の住人だけではなく近郷の農村部をも対象にしていたと思われる。また、注目されるのは木綿関係の職種の多さである。木綿糸外字四〇を初め、木綿糸商一六・綿商綿打一〇・木綿糸挽商九・木綿車匠・筬匠二と合計七七戸が木綿関係に従事している。しかし、綿織物に関する職種はみられないので、綿糸として移出されたものと考えられる。
 表75には町人が多く住んでいた町別に戸数と職種数を示した。丸岡城の南部の谷町・富田町・石城戸町が戸数も多く、職種数三〇以上であることがわかる。とくに城下の中心であった谷町の職種数は四八を数え、全町で戸数六以上の二九職種はすべて存在する。富田町はこの三町の中では雇が四六戸と最も多く、大工・木挽も七戸あり、裏町的要素が強い。また、木綿糸外字商も一一戸を数えた。石城戸町には鍛冶・鍬柄が九戸集中し、石工二戸も当町にあった。城下の西端にある田町は、戸数は六八戸と比較的多いが、職種は一八しかなかった。そのうち二二戸が雇で、一一戸が木綿糸外字商であった。魚問屋・魚商は城の西側の室町・小人町に多く、果物・菓子商は谷町・富田町に多かった。



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