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 第三章 商品の生産と流通
   第一節 都市構造の変化
    一 城下町景観の変化
      小浜の変貌
写真53 西津の火除地(「西津村古図」)

写真53 西津の火除地(「西津村古図」)

 小浜城下では、西津漁師町と西津の侍屋敷の間には寛永十七年(一六四〇)から三〇間の火除地が設けられていたが、小浜町には火除地がなかった(「酒井忠勝書下」 資9)。幸い幕末までは三〇〇軒以上を焼失するような大火はなかったが、嘉永四年正月に三八二軒、同六年三月に一四〇〇軒以上、安政五年(一八五八)八月には一八〇五軒を焼失する大火が相次いだ(第四章第一節)。このため、町のほぼ中央に当たる広小路に堀川が開削された。安政五年の冬にその計画が立てられ、同六年二月から工事が始められ、同年冬に完成した(「酒井家編年史料稿本」)。
 また、小浜は海に面した城下町であったため、砲台が置かれていたが、幕末には大砲を備えた本格的な台場が築造されている。安政五年に幕府から海防状況を視察するために派遣された外国奉行と目付に対する心得書には、「台場数 小浜五ケ所・御城浦」とあり、六か所の台場があったことがわかる(「御順見ニ付御案内之者心得書」西島斉家文書)。このうち、川崎の台場は同元年に一応完成し、その後も改修されたり拡張されたりしている(『小浜市史』通史編上巻)。同年三月には台場内への子供の立入りを禁止した触が出ている(「酒井家編年史料稿本」)。



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