目次へ  前ページへ  次ページへ


 第三章 商品の生産と流通
   第一節 都市構造の変化
    一 城下町景観の変化
      代官陣屋と鯖江
 越前には、最も遅い時期に成立した城下町鯖江がある。その成立について『間部家文書』を中心にみていこう。
 小笠原氏勝山藩の成立した元禄四年(一六九一)、勝山に置かれていた幕府代官所は、今立郡西鯖江村と丹生郡上石田村に移された。上石田村の代官陣屋は、五石六斗三升三合の「役屋敷引」が年貢割付状(上石田区有文書)に初めて現れる元禄五年に設置されたと考えられるが、西鯖江村の陣屋は同四年に柴山を開いて建てられたようである。陣屋の東側の通りに面した部分は陣屋町と呼ばれたが、同十一年には一〇軒の水呑百姓の家があったにすぎず、西鯖江村全体の家数も、枝郷有定村一四軒、出村七軒を含めて六一軒であった(「御絵図御用ニ付御尋之趣口上書」青山正壮家文書)。これが、正徳三年(一七一三)には五三軒(高持二〇軒・水呑三三軒)に減少している(加藤新左衛門家文書 資5)。
 さらに、鯖江への転封を言い渡された間部詮言が享保五年(一七二〇)九月末に派遣した足軽は次のように報告している。当時の西鯖江村の家数は二七軒、人数は二百余人にまで減少していた。また、北陸道の往還筋にはあるものの宿場ではなく、町通りより少し引っ込んだ所に幕府代官窪嶋作右衛門長敷の陣屋があり、家は小屋掛けのようなもので一七軒しかない。しかも誠照寺領があり、通りを挟んだ東側は小浜藩領、南北は福井藩領で、陣屋続きに侍屋敷を建てる場所がない。また、牛馬もおらず、「不宜村ニ相見」える。



目次へ  前ページへ  次ページへ