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 第二章 農村の変貌
   第二節 地主制の展開
     四 地主の家訓
      田中家の家訓
写真27 田中甚助書置(首部)

写真27 田中甚助書置(首部)

 丹生郡樫津村田中家には現在二通の「書置」が残されている。その一通は前述の田中甚助(当時福井藩組頭)が貞享二年(一六八五)に倅甚之丞に与えた全一九条からなる書置である。「士農工商」の中でも百姓ほど良いものはないが、百姓としての正しい生き方を知らなければ、それを生かすことができない「大キなる悪人」となる。幼少の時から教えてきたとおり、「第一今川・実語教・童子教・長者教此四冊」を繰り返し読んでその趣旨を理解し実行せよ、そのほか大事な点を次に書置くという前書きから始まっている。内容は順不同で必ずしも系統だっているわけではないが、それを内容ごとにまとめてみると、
 まず村役人・村の指導者としての留意点として
 一、「御国之御法度」の趣旨をよく理解し、毛頭背いてはならない。もし背いてお咎めにあえば金銀や一門の力ではかなわず、今生では死罪にあい来世では深淵に沈むことになり、それが「口惜」しいからである(この項は一番最初に書かれている)。
 一、村の水帳・内検帳、隣村関係証文、家代々の証文など、すべて書類は「火事盗人」にあわないようによくよく用心せよ。書類は「寸ノもの」でも粗末に扱ってはならない。
 一、「御公儀様御奉公人」「同名百姓」(同じ本百姓仲間)に、どのように腹立たしいこと、口惜しいことがあっても、言葉を返したり、悪口を言ったり、無礼な態度をとってはならない。短気ですぐ立腹することは大悪事と心得よ。こちらの申し分が正しくともすぐ仕返しがあり、「布の子ノ上へ雨」となる。もしも、忝ない御意に預かっても、それを信じて「ふわ」と乗ってはならない。油断するな。御納所皆済だけを考えればいいのである。
 一、同名百姓に憎まれないようにせよ。村盛・郷盛・御公儀御納所についてはよく理解していなければならない。計算は必ず自分で一度やってみよ。村割りについては今後のことを考え証文をとってあるので大事に使用せよ。
 一、 人に唆されて公事(訴訟裁判)をすることはもっての外の大悪事である。ただし、隣村との出入りの時は、全力をあげて取り組み、金銀も思い切って使え。絶対に油断するな。しかし、先頭に立つのはよろしくない。二番目か三番目が良い。我独りというのはもっての外である。良い知恵を出し同名百姓に教えて言わせるのがよい。我が家には短気の筋があるので注意。短気は大悪事である。紛争処理に当たっては穏やかで晴れ晴れとした表情と真心をみせ、心中には公事を絶対に勝ち抜く決意を秘めているように。
 家長の責務として、
 一、「仏法」をお手つぎの寺によく聞いて、仏の教えに背かないように生きよ。父母祖父母の命日には香華・灯明をたて念仏を申すことを忘れるな。二世三世(過去・現在・未来)の大事である(この項は二番目に書かれている)。
 一、第一「御伊勢御神様」を敬い申すことが大事である。ただし「御伊勢大夫」の宿をすることは無用である。また祈外字を依頼することも絶対無用である。
 一、そなたに譲る一三三石余の田畑山林「田畑下シ手作」にいたるまで「毎日毎日くるくると廻り」くわしく見届け、耕作がよく行き届くように指導せよ。
 一、例えば高一〇〇石持ったならば六〇石のつもりで日常生活を送れ。「田方下し候而手作少可仕候、牛馬下人多召遣」うことは大悪事である(外字が重視されている)。一、そなたに譲る田畑山林はそなたの「惣領」一人に譲れ。弟どもは他家への養子か独立させ、よく成り立つようにしてやれ。
 一、百姓は常日頃は「ゆりこ」(屑米粉)・「雑穀」を食べるべきである。冬は稗を食わせるのがよい(米を多く食べることは飢饉対策上よくない)。その上「わらび」、「ようほほしハ」(リョウブの若芽をゆでて乾燥させた救荒食)は三年分は用意すべきである。そなたの四代前の道珎様の時は三〇年に一度、その後道慶様の時二〇年に一度、道了様の時一五年に一度、我等が時は五年七年に一度、悪作・飢饉があった。そなたは悪作・飢饉にも家来を餓死させないよう普段から怠らず用意して置かなくてはならない。
 農業経営に当たっての注意、
 一、働かないで「金持」になりたいと考えることは貧乏の基である。ただただ農作業に精を入れよ。田植えは半夏生より三五日前からかかれ。苗役(育苗期間)三五日、井(種籾水浸期間)一五日、井より上げ(芽出しのためのむらし)五日(計九〇日)、だから半夏生より九〇日逆算して種籾を浸けよ。もし、失敗したり、急に揚げ田ができて追加する場合は、普通の籾を二日二夜池に浸け、一日一夜「馬ごえ」(発酵中の厩肥)に埋め、早く上げ、追いかけ蒔きをせよ。
 一、農作業は人より二、三日早めに済ませるように。余りに早いのも、遅いのも同名百姓に笑われる。利潤もそのほうがあるものである。大規模な蚕飼いは身代潰れのもとである。
 一、麻は夏土用四日かけて、一〇〇日目に引くつもりで。相当する肥しは冬準備しておくがよい。
 一、畑作にはとくに念を入れよ。茶・桑・楮・漆・「きのミ」(油桐)を重点的に作れ。山田畑境目は人に侵されないよう油断するな。他人の境目は毛頭侵してはならない。子々孫々に「天道之セめ(責)」を負わせることになる。下人には飯米に注意し、よく目をかけてやり、人よりこまやかに使用せよ。稲草を盗まれないように注意。家来が家を潰すものである。下女にも心を許し油断するな。下人・下女たちの世間話も聞くべきである。
 一、牛馬の目利きを習うべきである。安い馬を上手に育て上げることが肝要である。しかし、そなたはもちろん子々孫々まで博労などは夢にもしてはならない。
 そのほか一般的な注意や堅く禁止することとして、「金銀有之山」を勧められて買うこと、質物についての注意、「女くる(狂)い」「はくち(博奕)」があげられている。
 忍耐心・綿密性・熟慮・決断力を備えた村役人の理想像や、敬虔な信仰心(浄土真宗)を持ち、質素な生活をし、家長が先頭に立って農作業をする手作地主の姿が浮かびあがってくる。また近世初期に飢饉が起こる間隔がせばまっていること、手作より「外字」を重視し始めていること、麻・茶・桑・楮・きのミが代表的商品作物であったこと、愛情・警戒心いりまじった主人と下人・下女との人間関係など興味深い内容が多い(田中甚助家文書 資5)。



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