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 第二章 農村の変貌
   第二節 地主制の展開
     四 地主の家訓
      様々な家訓
 百姓の中で家訓を持つものは、子孫へ相続させたい大きな財産(高)と村役人などの社会的地位を確立したものである。「書置」「置書」「遺訓」「口上之覚」などの名で残されている。いずれも処世訓が中心になっているが、中には農書と区別がつかないほど農業技術・経営について巨細に記してある大野郡蕨生村城地家の「家伝永禄記」のようなものもあれば、同郡木本領家村杉本家の、家の中での作法を説いた「座敷法度書」のような珍しいもの、奉公人の勤務規定ともいうべき「御家御作法証文」もある。
 これらの家訓などは当時の地主村役人層の実態を知ることができるだけでなく、当時の農業技術・経営の姿さえ明らかにできる好史料となっている。その最も早い例は大野郡御領村伊藤家の慶長五年(一六〇〇)二月二十六日に作成された田畑譲与のための「置書」(伊藤三郎左衛門家文書 資7)で、譲与する田畑の有坪を記した冒頭に「いつれ大しん(身)小しんニにく(憎)まれるようにうきよをわたれ」「をや(親)のな(名)をなか(泣)すなよ」「はは(母)をよきにやし(養)ない可申候」などと書かれている。



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