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 第二章 農村の変貌
   第二節 地主制の展開
    三 大野盆地の地主制
      小作人対策の苦労
 小作経営では小作人対策に苦労しなければならなかった。それは小作人の揚げ田戦術をともなう減免要求であり、もうひとつは「越石」小作人問題であった。当家の横枕村以外にある小作地は「越石」であるので、その村で徴収する「足役」(家単位で課せられる人夫役)を初めとする様々な村費の負担があった。また土布子村の小作人全員が全小作地を又貸しするなど、その小作地の管理も難しかった。さらに当家の小作経営がその村の利害と反する時は、その村から強力な圧力がかかった。
 宝暦十・十一年に起こった東大月村との紛争は越石の難しさをよく表している。東大月村の山本に当家の小作地があり、同村の農民に小作させていた。それが一〇年前に揚げ田となりやむをえず手作としたが、ついに人件費の高騰により「家来等召抱候儀余程不足」で手作が困難になってきた。それで種々奔走して下荒井村で小作人を見つけ、この山本の小作地を小作させる契約を結んだ。
 ところが、すぐ東大月村の庄屋から絶対に下荒井村の者には小作させるなと言ってきた。下荒井村は山林が多いので田肥しが多く、この小作人は必ず収穫を多くあげる。この山本の地は毎年の検見の道筋に当たり、ここの検査でもって村全体が推し量られ、免も大幅に上げられる恐れがあるということであった。しかし契約も済ませてあり、今から手作ももちろんできないので申入れを断ると、東大月村の七人の小作人が村庄屋の指図だからと全小作地を揚げ田にしてきた。また越石分の足役を依頼していた二人の小作人もこれを断ってきた。
 このように揚げ田戦術をとって圧力をかける東大月村に当家は有効な対抗策もなく、鯖江藩木本領家組大庄屋杉本家に斡旋を依頼して、東大月村の者にも山本の地に充分な田肥しの草木を刈り取る場所と機会を与えるという条件で和解した。地主小作関係を超える村の統制の強さと揚げ田戦術の効果をみせつけた一事件であった。揚げ田は小作人の地主に対抗する上で最も有効な手段であったが、小作人自身がたちまち生活の糧を失う危険性も多かった。



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