野尻家の近世前期の地主経営をうかがうことができる史料に、卯年正月二十六日付「未進年貢猶予願」がある。これによれば当家はこのとき持高六〇〇石余、牛馬一〇匹、譜代下人二二人、一年季下人六人、譜代下女一五人を抱えており、年貢未進米は二〇〇俵余りであった。これは前年が不作で、「手作分」を取り落としたことと、「小作未進」が一四二俵余りあったからであるとしている。小作未進のうち八六俵は今後の差引勘定などでなんとか処理が可能だとしても、残り五六俵はまったく取立て不可能で、その上小作人たちは請け田を「すきと相返」し(一斉に揚げ田)てきて困っている、ぜひ「小作人」を召し出し詮議をお願いしたい、「牛馬下人家内中」を売り立てたならば少しは上納できるかとも思われるが、それも今すぐにはかなわず、今までどおりこのまま「屋敷之内」に住むこと(未進年貢の免除または猶予)をお許し願いたいとある。
年貢未進米二〇〇俵余のうち小作米が一四二俵を占めると強調しているように小作部門も大きく、しかも揚げ田で対抗するなど小作人の成長も著しい。しかし、多くの譜代下人・下女を召し抱え、一〇匹の牛馬を持つなど手作部門も大きかったことがわかる。なお、この手作には当家小作人も雇人として使役されているはずである。誇張された表現ではあろうが、牛馬下人家内中を売り立ててとはなんともすさまじい。 |