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 第二章 農村の変貌
   第二節 地主制の展開
    二 坂井平野の地主制
      小島家
 坂井平野は近代においては福井県の穀倉地帯ともいうべきところで、戦後の農地改革時には県内他地方とは隔絶した大地主が多数存在していた。そしてこれらの大地主はいずれも近世地主の系譜をもっていた。ここではまず享保三年(一七一八)以降の外字帳が多く現存している野中村小島五左衛門家についてみてみよう。同家は家伝によれば慶長三年(一五九八)の太閤検地で屋敷一反歩を除地とされ、また大坂の役にも参陣した中世土豪の系譜を持つものという。
 野中村は初め福井藩領、のち幕府領、幕府領福井藩預所、福井藩領、幕府領福井藩預所と支配の変遷した村であるが、この間当家は常に組頭、大庄屋を勤めていた。当家の持高はおもに野中村・野中新村・玉江村に存在したが、元禄十年(一六九七)の「野中村宗旨下帳」によれば野中村で五一石余、野中新村では村高七五石余のうち六七石余り、幕末期には二五〇石余となった(小島武郎家文書)。



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