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 第二章 農村の変貌
   第二節 地主制の展開
    一 地主小作制度の成立
      奉公人の扱い
 田中郷の地主手作は、家長が先頭に立つ家族労働のほかに、奉公人を雇って経営を行うのが普通であったので、本書ではこの奉公人(家来とよぶ)の扱いについての記述には力が込められている。それは奉公人への依存度が大きかったことと、その地位が向上していることを示すものであろうが、男女奉公人の違いは著しい。
 男女奉公人は毎年雇われる家がだいたい決まっている。一季奉公人として他所から雇った者であっても、その年より幾年も変わらず勤めるものと考えよ。奉公人も長く勤めれば家の仕事もよくわかって都合がよいのである。召し使う男女奉公人(家来)は春の種外字から秋の収穫まで取り扱うものであるから正直正路の者でなくてはならないが、召し使う方も家来とは家頼とも書くように、「家頼む」という心を忘れてはならない。
 男女の農作業の役割分担には村のしきたりがある。まず「村法堅」く守ってその上で家風に従って働かせよ。朝は六ツ時に起き揃え、それぞれに手早く仕事を受け取らせ終日働かせる。晩は六ツ時前に仕舞わせる。「昼あがり」は村中一緒にし、「一番あがり」と札付きにならないようにする。
 男は夕仕舞いより直に休む。昼骨折り荒仕事をするからである。女は四ツ半から九ツまでも「夜なべ」がある。その上朝食の準備、三、四度の休みも身の回りの洗濯などがあり、「引日」(勤め日でなく自分の家にいる日)がなく、「常住昼夜働く定り」。夜なべは早く取り掛からせ、精出させ、早く仕舞わせ「早く寝休」ませるようにせよ。
 一日の「休息たはこ(煙草)」、日長き時分は昼前二度、昼より二度、日短き頃は一度ずつ。長休みせず、仕事により休みを加減せよ。夏中は「小昼飯」をだす。昼下がりから小昼飯までは休ませなくてよい。
 三月十八日より七月晦日まで当村では昼寝の決まり。当村では時鐘がないので日かげを心覚えにして起こす。曇り・雨天の日、作場が遠い時は遅れないように注意する。出がけに煙草を吸わせてはならない。田植えのときは昼寝をしないのが前々からの例である。
 五月より七月まで朝草二駄草刈。朝早く起き二駄切りにて仕舞うのがしきたりである。順番でさせるか、一人に任せるかどちらかである。
 冬雪が降ると男女奉公人ともに内仕事、男は縄・莚(一日五枚)、女は木綿・苧うみ、冬から春まで機織り。春になって布・木綿を相応に売らなくては家計が成り立たないことを家内上下ともに堅く心得よ。
 奉公人に月に二五日、二〇日、一五日、一〇日、五日出の者がある。だから月に五日は「惣休日」(奉公人が一人も勤めていない日)がある。三〇日出(丸男)もあるが、丸男は一日も休みがなく、召し使うほうも実質三〇日は使用できないので双方から好まれていない。二〇日、二五日出の者には農具を「引日」に我家でも使うことを認める。他は許可なしには使わせない。給銀は二〇日男を基準にして決められている。家によって給銀・給米の違いはあるが、額に高下があるわけではない。
 五節句や祭に半日ずつ遊ぶことは前々からの定め。だいたい、毎月一回に当たる。昼あがりを急がせず、仕事に精出させ、昼飯以後昼寝心のままにさせよ。「日々働骨折」りの代償であることをよく理解せよ。
 農作業には毎年同じ者を、奉公人の頭とし、毎日の作業の段取り、作業の割当て監督などをさせたほうがよい。毎日その者と談合して一番いい方法で作業をさせよ。
 多くの奉公人を召し使う家では、人数を分け、作場を割り当て渡し(請け負わせ)て勤めさせているところも他村ではある。当村ではそのようなやり方はないがこれは参考にすべきことである。
 なお元文四年の天王村高帳によれば、百姓一九人うち一〇石以下は一二人、「下百姓」(無高)一一人となっている。奉公人はこの一〇石以下の百姓や無高の「下百姓」であることは間違いない。



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