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 第二章 農村の変貌
   第二節 地主制の展開
    一 地主小作制度の成立
      農書の中の地主制
写真25 農事覚書(部分)

写真25 農事覚書(部分)

 寛保二年(一七四二)丹生郡田中郷天王村の高橋勝安は農書「農事覚書」を書き上げた。彼は田中郷の惣社天王社の神領二〇石余を管理し、また村高のうち二六石を名請けする神主であった。彼がこれを著す決意をしたのは、父が買ってくれた宮崎安貞の『農業全書』を読んでこれに心酔したことと、神主・地主という立場からみた「近年諸作調らず」「農家いよいよとも(乏)しく、農業ハみだりに」という商品経済の発展の流れの中の地主の農業経営の行詰まりという危機意識にあった。
 内容は『農業全書』によりながらも当地方独自の地主の農業経営と農業技術を説いたものであった。十八世紀半ばの当地方に一般的であった地主制度、地主の農業経営の実態や農業技術をうかがう上で興味深い内容となっている。次にあげたのはその概要である。外字については、とくに村の慣行、作人の吟味、畑の外字の注意が強調されている。これは領主への負担を含む外字米の収納に万全を期すためであった。
 田畑の外字は正月より三月節句までに決めるのが「当所の定」である。一反についての外字米高は前々から村での「極」がある。外字米収納のとき不足が生じないように「作人」をよく吟味せよ。大切な高、田畑の御納所は一粒たりとも揺るがせに出来ない。外字作も同様と心得よ。正直な作人でも「一人手間」の者は病み煩うことがあるので必ず「請人」を立てるべきである。悪作となり減免しなければならない時は、先に地主は作人にこのことを告げ、外字地をよく調べその実態を把握して対応しなくてはならない。近年の悪作の時は村中立ち会って免を決めた。これは「至極尤も成事」で今後もこのように解決することが望ましい。
 畑の外字作で注意しなければならないことは、まず畑作物はおもに夏収穫され、作人の端境期の「喰費」となってしまい、秋の外字米納入に差し支えることが多いということである。また漆・桑などの上木があり、長期に外字すことは上木が粗末になるので、畑は手作りの方がよい。
 手作に当たっては次のように指摘しており、金肥の流入、奉公人などの人件費高騰が大規模手作を成り立たなくしていることをうかがわせる。
 むやみに日用・雇い人を使い、肥しを「買立用事」は当分の収穫はあるけれども過分の「作徳」にはならず結局雑用倒れになってしまう。自給肥料に力をいれ、雑用がかからないよう心掛けることが第一なのである。だから手作りは十分に作る(大づくり)のはよろしくない。上農人(農業技術・経営も優れている巧者)はゆとりのある八、九分の経営で十二、三分の収穫をあげる。当地では農業技術・経営が劣っているのに「手ばる程」つくって、結果はようやく「作食ほと取上ル」という有様なのである。経営面でも技術面でも八、九分の経営がいいのである。



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