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 第二章 農村の変貌
   第二節 地主制の展開
    一 地主小作制度の成立
      領主の外字への対応
 外字米には領主への貢租が含まれているので、領主は外字に関心を持ち、その対応に迫られることになった。元禄六年福井藩殿下領に出された代官条目には、(1)納所皆済前にみだりに私的な借財の返済に銀米を支払ってはならない、(2)納所皆済が難しいと思われる百姓の分は庄屋・長百姓が立ち会い「立毛ニ笹を引」き皆済を保障する請人を取ってから立毛を刈り取らせよ、(3)一作売りの田地や「外字申す田畑ニ笹を引」き請人を取って「無滞様ニ仕」り立毛を刈らせよ、もし「指延置」き出入りとなれば越度とするという貢租納入についての強い規定があった(片岡五郎兵衛家文書 資3)。「笹を引」くとは、中世以来の神霊の宿った笹を立てめぐらし立入り禁止を示す民俗と思われる。しかし、天和元年(一六八一)坂井郡下番村庄左衛門が、家中流行病にかかり田畑の手入れがおろそかになったとき、代官が「当年貢米引明可申」と庄左衛門の田畑の「立毛ニ笹」をひき、その一作の立毛が同名(同じ本百姓仲間)に割り付けられてしまった例もみえ(小島武郎家文書)、「差し押さえ」の意味もあるようである。
 このような強権的な貢租徴収の対象に外字田畑があげてあることは、外字制度がいきわたったことにより、外字米滞納・減免要求・揚げ田など地主小作間の紛争が起こり、それが貢租村請制のもとでの領主の貢租収取の障害になってきたことを示すものだろう。



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