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 第二章 農村の変貌
   第一節 近世後期の農業と農民
    三 農間余業の展開
      江上村の持高と余業
 右にみた村々のうち、江上村について家ごとの持高・人数・兼業職種・「冬励」「渡世」がわかるので、それを集計した表47を示した。まず、渡守・番人を除く村全体の兼業・冬励・渡世の割合は、兼業四六・七パーセント、冬励五八・七パーセント、渡世八・五パーセントという高さであることを指摘しなければならないが、その持高階層による違いについて指摘したい主な点は、持高一一一石余を持つ村一番の高持が資本を要する酒造業を営み、二〇石から七六石余までの階層は農業専業で、冬には莚や縄を作る家も何軒かあること、二〇石未満層は平均家族数も少なくなり、兼業を営む家、余業・渡世に従事する人も増えていることが読みとれる。
 そして村の家数の四割を占める雑家層があり、そのうち四割弱は請作をするとともに大半が兼業を持ち、平均して一軒に一人の割で奉公人などを出している。請作のない「雑家・無作」はどの家も「兼業」欄(ただし、この場合は専業である)に示したような職種を持って、おそらく零細な営業に従事し、奉公人も多く出していた。零細さは日雇等の職種や、二種以上の職種に携わっていることから想像できるが、三軒の家はただ「極難渋者ニ而御座候」とだけ記されていて、どうして生きているのかわからない。
 渡守と番人は同じ帳面に別記されているが、渡守の内七人は川漁を兼業し、その内二人は「極難渋者」であった。
 以上、高持と無高、持高の大小、請作人と無作の違いによる階層差は比較的判然と読みとれたが、そのようにして江上村の人々の大半は農業外の諸稼ぎに大きく依存して生活していたのである。



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