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 第一章 藩政の推移
   第一節 所領構成の変化
    四 福井藩の預所
      預知条目
写真5 預知条目(田畑永代売買禁止の部分)

写真5 預知条目(田畑永代売買禁止の部分)

 松平吉邦は、幕府に対して預所統治の基本方針について、「万事仕置等之儀中納言(秀康)時代・故伊予守(忠昌)以来、段々相定置候法式御座候、領分左様ニ致し来候得者其趣を以今度御預所も同事ニ仕置可申付与存候」(「御預所被仰出節覚書」松平文庫)と述べ、幕府もこれを認めた。そこで同藩では享保五年七月、二〇二か村に対して預知条目三四か条を公布した(山口智敏家文書)。法令の内容は貞享四年に藩領域の村々に発布された在々条目三一か条と大同小異であるが、幕法と矛盾するところは改訂されている。例えば田畠の永代売買に関して福井藩では郡所の裏判のある証文を有効としているが、預知条目では「田畠永代売買仕間敷事」と厳禁している。
 幕府は藩法に準拠することを認めてはいたものの、「格別之儀」は事前に勘定所の許可を求めることとしていた。死罪に相当する事項が「格別之儀」に当たり、福井藩が専決できたのは追放以下の刑であった。しかし、以上の権限が認められていたのは寛延二年までで、中絶後宝暦十三年に復活した時には「公事訴訟等軽儀其外手鎖牢舎等之儀吟味中ハ手前ニ而被申付、御仕置落着之儀ハ御勘定所江相達指図之上可被申付候」(「家譜」)と、一切の判決が幕府の下知によるものとされ、その権限に対する制約が強化されている。



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