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 第五章 宗教と文化
   第五節 建築物と絵画
    三 民家
      集落と家屋
 一つの集落をとりあげ、近世における民家の態様について考えてみたい。明和元年(一七六四)の「明石縫殿様内知行所三本木村高附家付人馬改帳」(福井市春嶽公記念文庫)によって一農村を構成する家屋の状況をうかがってみる。明石家は、福井藩の上級武士で知行一〇〇〇石、足羽郡七村・吉田郡二村・今立郡一村を宛行われていた。このうち足羽郡三本木村(福井市三本木)のみが丸村で、他の九村は相給であった。三本木村は文殊山西麓の村高二〇四石八斗の小村で、家数は高持九軒・雑家一軒である。史料で「家」とあるのは母屋と考えられ、各家の状況は表143のとおりである。家屋の規模は、農民の持高と家族数(下人も含む)に照応している。各家の規模は母屋を中心に、角屋・水屋・土蔵・馬屋などの付属施設をもつ有力農民から、二間四方の母屋のみという雑家の住居に至るまで様々であった。また、一〇戸のうち七戸に角屋がみられる。

表143 三本木村の農民と家屋

表143 三本木村の農民と家屋
 注1 西兵衛は馬1匹所有.
 注2 半間は3尺に換算.
 注3 母屋以下の項目は「間口」「奥行」.
 注4 明和元年の「明石縫殿様内知行所三本木村家付人馬改帳」(明石家文書)により作成.



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