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 第五章 宗教と文化
   第五節 建築物と絵画
    一 城郭と城館
      天守閣
 天守については丸岡・福井・小浜三城の全容が明らかなので、その成立と建築様式を中心に述べる。丸岡城の天守は、北陸に現存する唯一のもので、その創建は天正四年といわれ、天守閣では最も古いものとされている。高さ一二・五メートル、二重・三階の小規模な建造物である。初重の櫓に望楼をのせたもので、望楼とその下の階に構造的な連続性がなく、天守として初期の形式をとっている。昭和九年(一九三四)に国宝に指定されたが、同二十三年の地震で倒壊した。幸い昭和十六年に行われた解体修理のさいの関係資料が保存されていたので同三十年に再建された。
 福井城天守は寛文九年の大火で焼失、その後再建されることはなかった。望楼をもった天守で、松平文庫の「御天守絵図」によると外観は四重であるが、一層目に二階分の床をとり内部五階となっている。天守台の高さが約九メートル、天守台上の建造物の高さが約二八メートルで、威容を誇っていた。
 小浜城天守の普請は、寛永十二年二月幕府の許可を得て着手された。幕府の大工頭中井家に伝わる史料の中に「若州五重之天守」「若州三重之天守」と題する二枚の指図があるが、採用されたのは三重の天守で高さは一七・九メートルであった(『小浜市史』通史編上巻)。寛永十二年十月に中井正純の指揮で棟上げが行われ、翌十三年十月に完成している。老中の要職にあった酒井忠勝は天守の普請に関して十数通の書状を国元の重臣に与えており、ことに寛永十二年の「天守このみノ覚」では一七条にわたり白土の塗り方、窓のあけ方など細部にわたって指示し、天守に寄せた期待の深さがうかがえる(「酒井忠勝書下」)。



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