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 第五章 宗教と文化
   第四節 文化の諸相
     四 村と町の年中行事
      十一月・十二月の行事
 十一月に入ると本格的な雪の季節に入り、屋内での仕事が中心になってくる。六日は一年間に消費する味噌の仕込みを行った。九日は山神祭で春の山入りに対し、以後は山に入ることは堅く禁じられた。十三日の庚申祭は庚申の日の行事で、二月も含めて二回あり、三尸という虫への恐れから徹夜で飲んだり騒いだりした。今も庚申塚がその名残として残っている。
写真201 庚申像

写真201 庚申像

 十二月に入り、立冬の前日の十五日は節分年越で、年男を呼んで朝四時頃に米飯と大根・芋などを食べさせた。新年を迎える準備としての煤掃きは十八日、二十四日は恒例の餅つきでこの時も年男が呼ばれ餅をついた。臼とりは女に任されたが、蒸す作業からこねる作業まですべて男を中心に進められた。粟餅・黍餅ほかいく臼もの餅がつかれ、終わると、祝いとして粟餅を食べさせた。二十八日には門松や青物を大庄屋宅から借りてきて正月の飾りとした。大年には日頃出入している男がすべて呼ばれ、正月の最後の準備を行い、朝はまぜめしを腹一杯食わせ、昼食には米の飯、魚も出された。
 閏月などとの関係で、日時には多少の移動があり、また貧しい農民は簡略な行事で済ませてしまうことも多かった。



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