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 第五章 宗教と文化
   第四節 文化の諸相
     四 村と町の年中行事
      六月・七月・八月の行事
 六月一日は中野村では休日と定められている。休日と遊日の区分を明確にしていたかどうかわからないが、表137には入れなかったその他の休みの日も含めると、平均して月に四、五日は休んでいたようである。十四日の天王祭礼は、天明末年より疫病が流行したため、寛政三年(一七九一)江戸より天王権現が勧請され、当村白山堂本社に合祠されて以降始まった。引き続いて白山堂祭礼があり近辺の村々でも祭が催された。一年のうちで最も暑い土用には衣類の虫干しをした。七月に入り七日は七夕である。盆は十四日から十六日の三日間で、花倉家では十二日には墓参りを済ませた。十四・十五日の二日間は遊日で家来の多くは藪入といって実家に帰った。同じ郡内にある横枕村の野尻家では、十三日に先祖の精霊迎えを行いそのあと主人とせがれが菩提寺の墓参り。十四日にも三昧へ参り、十五日に精霊送りを行っている。また、藩主の不幸や飢饉などで禁止された年もあったが、盆中には盆踊が盛大に行われた。
写真200 中野村白山社

写真200 中野村白山社

 中野村では十七日に風祭・虫送りを一日のうちに行った。風祭は二百十日前後の台風の季節に農作物を風の被害から守るために行われた。虫送りは稲に害をもたらす虫を追い払う儀礼で、松明をともし太鼓や鐘をたたいて囃しながら、大声を出して畦々を歩き廻った。最初は領主に願い出て行ったが、後には恒例の行事になった。八月一日は八朔で、刈入をひかえて、初穂を神前に供える行事が行われ、朝食は米飯で家来には一日の遊日が与えられた。井戸は、当時の技術水準では何年間かに一度普請の必要があり、井戸ざらえといって中の水を清め掃除した。地下水位が最も低くなる七月か八月に行った。彼岸の前後から本格的な稲刈の季節となり、はさ作りなどが始まる。



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