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 第五章 宗教と文化
   第四節 文化の諸相
     四 村と町の年中行事
      正月の行事
 まず最初に農村の年中行事を取り上げることにする。すべての地域を網羅することはできないので、大野藩の大庄屋を勤めたこともある大野郡中野村の花倉家の年中行事を中心にみていきたい(表137)。

表137 大野郡中野村花倉家の年中行事

表137 大野郡中野村花倉家の年中行事
注) 寛政期(1789〜1801)以降の日記により作成.

 元旦は一番鶏が鳴く頃、年男が豆柄で火を改めてたきつけ、若水をくみ茶釜・湯釜・大釜に入れる。若水には若返るという俗信があってお茶をたてて飲んだのである。明け方には使用人も含めて全員が道場に詣でて仏事を営んだ。
 元旦から三日までは雑煮餅を食べた。二日は口祝で、家の家来(使用人)や日頃出入している雇人をすべて呼び、ご馳走を食べさせた。この時には日頃めったに口にできない魚や酒も出された。四日は遣初といって仕事始めの日で、一番鶏時分に藁を打つ作業から始められた。七日は七日正月で朝は七草粥を食べた。前日の六日は六日年越といって六日夜から翌朝にかけては重要な節目とされ、大晦日と同じように神祭をした。
 九日は山神祭、この日は山仕事の開始を告げる日で、朝食には米飯が出された。十五日前後は小正月ともいわれ、年初めの行事が行われる日であったが、年初めが元旦に移されて行事が二つに分かれたのであろう。前日の十四日は年越祝で、左儀長も同じ日に行われた。十五日の朝は年占の名残りで、ハレの日の食物である小豆粥を食べた。なお左儀長は、小正月の火祭で最初は家ごとに行っていたが、中野村では江戸中期頃から一村あげて行うようになった。



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