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 第五章 宗教と文化
   第四節 文化の諸相
    二 町人の娯楽
      祭と芝居
 町々には季節に応じて特有の行事があった。正月には勝山で町中をあげて左儀長があり、四月には三国で山王社の祭礼である山王祭があった。この祭は享保年間に始まり、例年四月申の日が祭礼日で、山車が出され各町内を曳いて廻った。六月には小浜町で祇園会祭礼がある。とくに、寛文十一年六月十四日に行われた小浜の祇園会には藩主忠直の見物もあり、各町内からは二八もの遅歩子が出され大変な賑わいであった。
 八月初旬には敦賀で町中をあげて気比社の祭礼が行われる。二日は神輿渡り、三日には練物が、四日には山車と人形が町々を練り歩いた。また、十日までは相撲もあり、越前・若狭はもちろん近江や美濃より力士が呼ばれた。祭礼の期間中は近辺の村々のみならず近国からも大勢の人々が見物に訪れた。
 八月十四日、勝山町の八幡宮境内で行われる御前相撲には時として藩主が見物することもあり、上層の町人は朝から使用人に場所をとらせておき、棧敷席でご馳走を食べ、酒を飲みながら相撲を観戦した。夜ははなばなしく踊が繰り出し、町三役は囃方として特別参加し、一年中で最も楽しい一日であった。町をあげての祭礼には町人はもちろん武士も見物に訪れ祭を楽しんだ。
 また、各町内の社でも春および夏から秋にかけての祭礼が年に二度は催された。三月から四月および七月から九月にかけての時期はとくに祭が多かった。当日は家業を休み氏子としての勤めはあったが、家ではご馳走を作り晴着を着て社に参った。祭には相撲や能・操り・歌舞伎なども興行され、近辺の村々からも多くの見物人が繰り出し賑わった。
 こうした定例の祭礼のほかにも寺社が勧進元になっての勧進相撲・歌舞伎・能などが境内で催された。享保十年四月、小浜の八幡宮の勧進能には京都からの役者に加え、町内の町人も太鼓・小鼓・笛の囃方として出演している。明和七年(一七七〇)の福井での例をあげると、同年閏六月二十八日、誓願寺が勧進元になって立矢の芝居小屋で操り芝居が興行された。「平仮名盛衰記」に始まり、七月十五日からは「忠臣講釈」、八月一日からは「一谷嫩軍記」、同十二日から「奈須与市西海硯」、同十九日から翌日まで「小栗判官車街道」と引き続いて上演された(「伝来年中日録」県立図書館文書)。右に述べたのはほんの一例で、降雪の期間を除いては毎日のように各種の見せ物が興行されている。また、勝山町のような福井に比べれば小さな町でも、不定期に京・大坂などから芝居一座が訪れることがあり、その折には家族揃って見物に出かけた(松屋文書)。しかし、先述のように巡見使が通過するさいや、将軍や藩主一族に不幸があった折には、祭礼が延期されたり中止させられることもあった。
写真196 広嶺神社祭礼絵巻

写真196 広嶺神社祭礼絵巻



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