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 第五章 宗教と文化
   第四節 文化の諸相
    一 幸若舞・舞々・越前万歳
      若狭の万歳
 小浜の正月にも、節季候・若夷・春駒・大黒舞・万歳が来た(『稚狭考』)。これは越前万歳ではないが、やはり声聞師のものであったろう。このほかにも、延宝(一六七三〜八一)頃、三つ松座の八郎兵衛というものは、上方で芝居を勤めた後、三味線を弾き浄瑠璃を語っていたが、他国の者を集め、五、六人で、春は万歳、秋は在所や町中を廻り、小歌あやとりなどをしていたという。また木崎・・・・・・窓は一五、六歳の頃(一七〇二〜〇三)、東宮前町舞五兵衛が「頼政宇治川の舞」を舞うのを見たというが(『拾椎雑話』)、「頼政宇治川の舞」は幸若舞のレパートリーの中にはない。越前万歳には浄瑠璃の「ひらかな盛衰記」に基づく「宇治川先陣物語」があり、あるいはこれを舞五兵衛がまねて、舞と称していたのかも知れない。
 なお、越前万歳の詞章・芸態については『集注越前萬歳』『福井県史』資料編15に詳しい。



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