江戸時代小浜藩領であった越前敦賀にも、敦賀郡を対象としたいくつかの地誌が成立した。「寛文雑記」は、敦賀代官打它伊兵衛が職務にかかわる事項を記録したものであり、編纂された地誌とはいえないが、そのなかには地誌的な内容を多く含んでいる。同様の立場からまとめられた「指掌録」は、敦賀町奉行であったものたちによって書き継がれたものであり、大半が元文二年までに成立し、その後増補されたものである。内容は、敦賀町奉行の手引といったもので、近世敦賀の様相を知るうえで欠かせない記録である。「寛文雑記」同様公開されたものではなかった。また享保十三、十四年の記事を中心に編集された「敦賀郷方覚書」がある。この書は、敦賀代官竹岡為右衛門によってその骨格が作られたものである。
こうした役向の記録ではなく、公開を前提としたものに、天和二年成立の「遠目鏡」がある。この書の序に「名所名所家々を手かゞみに書付て、諸国の旅人のなくさみ草にもなりやせん」とあるように敦賀を訪れる旅人への敦賀案内として編まれたものである。その内容は、敦賀の役人・儒学者・歌学者・詩作者・連歌師・俳諧師・能書・碁・将棋・数寄者・立花・庭作り・鞠・謡・笛・鼓・太鼓・算者・彫物細工医師・外科・針立・目医者・歯医者・刀脇指目利の芸者、諸寺庵・神社、諸大名からの上せ米、諸問屋・諸国商人宿・入津高・船持・利銀指付・質屋・酒屋・諸商人・諸会所・座頭・瞽女等、町名・橋名・家数、寺社の縁日、道筋・駄数・荷物作り賃、方角・古歌・敦賀八景からなっており、個々の記載は簡潔であるが、当時の町の様子をよく伝えている。 |