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 第五章 宗教と文化
   第三節 学問と文芸
    三 史書・地誌の編纂
      敦賀の地誌
 江戸時代小浜藩領であった越前敦賀にも、敦賀郡を対象としたいくつかの地誌が成立した。「寛文雑記」は、敦賀代官打它伊兵衛が職務にかかわる事項を記録したものであり、編纂された地誌とはいえないが、そのなかには地誌的な内容を多く含んでいる。同様の立場からまとめられた「指掌録」は、敦賀町奉行であったものたちによって書き継がれたものであり、大半が元文二年までに成立し、その後増補されたものである。内容は、敦賀町奉行の手引といったもので、近世敦賀の様相を知るうえで欠かせない記録である。「寛文雑記」同様公開されたものではなかった。また享保十三、十四年の記事を中心に編集された「敦賀郷方覚書」がある。この書は、敦賀代官竹岡為右衛門によってその骨格が作られたものである。
 こうした役向の記録ではなく、公開を前提としたものに、天和二年成立の「遠目鏡」がある。この書の序に「名所名所家々を手かゞみに書付て、諸国の旅人のなくさみ草にもなりやせん」とあるように敦賀を訪れる旅人への敦賀案内として編まれたものである。その内容は、敦賀の役人・儒学者・歌学者・詩作者・連歌師・俳諧師・能書・碁・将棋・数寄者・立花・庭作り・鞠・謡・笛・鼓・太鼓・算者・彫物細工医師・外科・針立・目医者・歯医者・刀脇指目利の芸者、諸寺庵・神社、諸大名からの上せ米、諸問屋・諸国商人宿・入津高・船持・利銀指付・質屋・酒屋・諸商人・諸会所・座頭・瞽女等、町名・橋名・家数、寺社の縁日、道筋・駄数・荷物作り賃、方角・古歌・敦賀八景からなっており、個々の記載は簡潔であるが、当時の町の様子をよく伝えている。
 敦賀で最も本格的な地誌は、嘉永三年(一八五〇)頃に成立した「敦賀志」である。この書は、気比社の神官石塚資元が、敦賀郡内の社寺・旧家の資料を収集し、敦賀の風土記として編纂したものである。初めに敦賀郡の総説を掲げ、次いで敦賀三六町と郡内の村々浦々の状況を、一三四項にわたって順次記述している。引用資料は地元の旧記・古文書、『古事記』のほか、『日本書紀』をはじめとする六国史、『万葉集』『延喜式』といった古典はもちろん、『平家物語』『太平記』『神皇正統記』『体源抄』など実に広範に及ぶ。国学者としても著名な資元の手になるだけに、近世敦賀の地誌として第一に重要な書物である。嘉永年間に書かれた「敦賀一目鏡」は、敦賀湊の町鑑であるが、その範囲が拡大され、敦賀郡内の村鑑というべき内容をもっている。 写真189 「敦賀志」

写真189 「敦賀志」



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