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 第五章 宗教と文化
   第三節 学問と文芸
    三 史書・地誌の編纂
      小浜藩の史書
 若狭には、すでに中世に史書といえるものが成立している。「若狭守護職次第」がそれである。内容は、鎌倉時代から室町時代までの若狭の守護名をあげ、その補任年代や守護代官の名を記載したものである。後年の史書や地誌の編纂にすくなからぬ影響を与えた。
 十八世紀の半ばに成立したと推定される「若狭国守護代記」は、「若狭守護職次第」にならったもので、若狭の最初の守護ともいえる稲葉時貞から、宝暦十三年に小浜藩主となった酒井忠貫までの若狭歴代の守護・大名・藩主をあげ、その事歴を年譜風に著したものである。なお、著者については不明である。
 酒井氏小浜藩が、藩主の事績を歴代ごとにまとめたものに「御代記」「御事跡類説集考」がある。「御代記」は、明和二年に祐筆頭取の水江信説によって編纂されたものであり、酒井氏の祖とされる広親から忠貫までの歴代の藩主の年譜と、一族分家等の記事をあげている。一八巻一九冊の書物である。
 「御事跡類説集考」は、藤林誠政が編纂し文政八年(一八二五)に完成させたものである。内容は、初代藩主忠勝の父忠利から忠勝・忠直・忠隆・忠囿の五代の事績を編纂したものである。「由緒書」には「同(文政)十二年己丑年五月十日従建康(忠利)様宝光院(忠囿)様迄御五代之御事跡兼而取調置候書物差上候」とあり、文政十二年に献上されたことが知られる。このほか誠政には「続御事跡類説集考草稿」「座側雑記」一六巻の著書がある。前者は、完成には至らなかったが、本編で取り上げられた歴代の補遺と、その後の藩主である忠音・忠存・忠用・忠與・忠貫の年譜が収められている。「座側雑記」は、天保十年(一八三九)に完成し、翌年藩主に献上されている(「由緒書」)。この書の内容は、筆者自ら序文の中で「何ニ不寄当藩ノ事ニ関係スル事」を収録したもので、「御事跡類跡集考」編纂の過程で生まれたものであり、家中・産物・藩主の事績・人物・寺社・諸氏系図・名所など、種々の事項を整序なく書き留めたものであるが、歴史的な記事を多く載せている。
 このほか、藩主の事歴に関するものとしては「玉露叢」「仰景録」があり、前者は享保五年に江戸の用人であった嶺尾信之が、忠利より忠囿までの行状を当時の遺老の話をもとにまとめたものである。また「仰景録」は、明和二年に藩士山口安固が著したもので、忠勝の祐筆であった安固の父翠巌や先輩から聞いた初代藩主酒井忠勝に関する逸話を記録したものである。 写真187 「座側雑記」挿絵

写真187 「座側雑記」挿絵

 藩主ではなく、藩家中を対象とした史書に「逢昔遺談」がある。この書は、文政八年に小浜藩士田中貞風によって著されたものである(「小浜御家中由緒書」)。内容は、「空印(忠勝)様御代より本覚院(忠貫)様御代に至る迄の御家中の人の事実、聊かはりたる話」(序文)を集めたもので、その中には現在は伝わらない古文書なども多く引用され歴史史料としても利用すべきところがある。
 なお、近世の史書ではなく未完成ではあるが、酒井家が昭和二年(一九二七)より同十五年にかけて行った家史の編纂の成果として「酒井家編年史料稿本」八〇〇帙が残されており、小浜藩の歴史を研究するうえで欠かせないものとなっている。



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