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 第五章 宗教と文化
   第三節 学問と文芸
    三 史書・地誌の編纂
      『片聾記』と『越藩史略』
 福井藩の史書には、藩の公的な編纂によるもののほかに、史書の執筆に志を有していた藩士の手で著されたものがいくつか伝存している。その最も初期のものが、勝手役などを勤めた伊藤作右衛門の手になる『片聾記』である。作右衛門については、九十谷と号し、二〇石六人扶持を給された下級藩士であったこと以外、詳細な伝記は明らかではない。本書には多種の写本があって、なかには初代結城秀康から十六代慶永(春嶽)まで記述した本さえ見受けられる。しかし、元文二年(一七三七)の自序があり、九代宗昌まで記録した福井大学本が原形に最も近く、それ以後の記述は後人の増補であろう。
 『片聾記』の遺漏を増補し、その続編の執筆を志したものに、普請奉行などを歴任した福井藩士山崎英常の手になる『続片聾記』がある。多年にわたって藩庁や諸藩士家・町方に伝わる記録・文書・口碑伝承等を収集し、その記述は十七代茂昭まで及んでいる。福井市立郷土歴史博物館に所蔵する本書原本の各所には、弘化二年の自序、同四年の自跋、慶応二年(一八六六)の自跋などが見られ、完結することなく次々と書き継がれた様子がうかがわれる。
 『片聾記』『続片聾記』の二書は、福井藩の歴史・動静を編年体で記録したものではあるが、藩命による公的な史書にはあまり見られない、藩主・藩士の日常生活、城下の犯罪や噂話の類までが、自由に収載されていて興味深い。
 福井藩士の手になる史書のうち、実証的な執筆態度が一貫し、体裁もよく整っているものに、井上翼章が天明元年(一七八一)に著した『越藩史略』がある。翼章は二五石五人扶持を給され、右筆請込手伝書院番などを勤めた下級藩士であったが、儒学はもちろん和学にも深い学識を有し、本書のほか『越前国名蹟考』をはじめとする多くの著述を今日に伝えている。本書の執筆に当たっては、各藩主の伝記類、先行の藩史類、法令類など三五種に及ぶ文献を参照しつつ、初代秀康から十二代重富までを記述しており、福井藩政の消長をうかがううえで重要な史料である。
 このほか福井藩には、寛文十年の大原武明著の「浄光公行状」(秀康の伝記)、大道寺友山の著と伝えられる「越叟夜話」(秀康・忠直・忠昌三代の伝記)、「明君言動録」(八代吉邦の伝記)、「徳正君御出語」(宗矩の現行録)など、各藩主ごとの業績をまとめたものが種々伝えられている。「信廟嘉善録」(土井家文書)も、四代土井利貞の優れた行状を記録したものである。
 また、幕末の福井藩士中根雪江は、慶永を中心とする幕末維新期の福井藩の活動を、『昨夢紀事』『再夢紀事』『丁卯日記』『戊辰日記』『奉答紀事』の五書に分けて執筆した。大野藩でも吉田拙蔵が「柳陰紀事」を著し、幕末維新期における七代利忠の業績と、自藩の活動を記録した。いずれも維新史研究上、不可欠の重要史料であるが、雪江の『昨夢紀事』『再夢紀事』なども、今日伝えられる体裁が整えられたのは明治初年のことであるから、ここでは詳説しない。



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