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 第五章 宗教と文化
   第三節 学問と文芸
    二 越前と若狭の文人・学者
      神道と和算
 寛永十九年(一六四二)、福井の呉服商の子として生まれた山本広足は、江戸時代前期を代表する神道学者度会延佳(伊勢宮神官)に学んで我国の古典と神道を研究し、延佳の講義を集めて「日本書紀神代巻講述抄」を編纂したことで著名である。広足は、初め京都万福寺の隠元に参禅して仏学を修めたが、後熊沢蕃山に学んで儒学に転向し、さらに延佳に入門して神道を学んだ人物で、宝永七年(一七一〇)に没するまで、非常な博学家として知られた。
 江戸時代中期に、福井足羽社の神官であった足羽(馬来田)敬明(一七五九没)も、我国の古典や神道の研究家として知られている。内外の書籍数百巻を所蔵し「足羽社記」「越前国式社地名考」など多数の著述を残したが、福井八代藩主吉邦に献じた「足羽社記」には、京都の国学者賀茂弘之の序文があり、その交遊の広さを物語っている。幕末の嘉永三年に没した敦賀の石塚資元も、気比社神官を勤めながら、京都の国学者賀茂季鷹に師事し、我国の古典や歌道を学んだ。伴信友・本居大平などと親交し、著書としては古典中から広く敦賀関係の記事を収集した「敦賀志」がある。
 数学(和算)の分野では、幕末福井で活躍した大久保盤山が著名である。江戸へ遊学して関流の数学を修得し、独自の計算法を研究して福井に学塾を開いた。後福井藩藩校明道館の算科局教官に任ぜられ、明治二十四年(一八九一)七五歳で没するまでに、門人は一〇〇〇人をこえたと伝えられる(「大久保先生之碑」碑文)。
 和算の進歩や普及ぶりを示す資料として注目すべきものに、和算学者やその門人たちが、数学の問題や解答を額にして、神社や寺院に奉納した算額がある。武生市国兼町の大塩八幡宮に、全国でも最も古いものに属する元禄十四年奉納の算額があるほか、鯖江・丹南地方の神社には、江戸時代後期の算額が数面遺存している。それらは、鯖江藩で関流の数学を教授した高木善行やその門人、同じく同藩で測量や絵図作製に従事した竹内重規などの、和算振興の状況を物語るものである。
写真180 和算額(今立町寺地刀那神社)

写真180 和算額(今立町寺地刀那神社)



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