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 第五章 宗教と文化
   第二節 越前の真宗
    二 越前真宗三門徒派と高田派・仏光寺派
      真宗高田派
 真宗高田派は、現在三重県津市一身田専修寺を本山とする宗派で、かつては、本願寺派とならぶ真宗の源流であった。すでに述べたように、越前へ最初に教線を延ばしてきたのも高田教団であったが、三門徒教団を派出したり、蓮如の北陸布教により隆盛となった本願寺教団に押され気味となって、高田派は次第に振るわなくなった。そのうえ、戦国期より対立し続けた伊勢・越前両専修寺の本寺争いは、寛永十二年(一六三五)と寛文三年の再度にわたる越前側の敗訴として決着し、その結果、越前では多くの末寺門徒を失った。しかし、「越前国寺庵」には二〇か寺を記載し、そのほとんどが戦国期以来の古寺である。
 延宝二年(一六七四)に福井藩主松平光通が逝去したため越前諸寺院による千部経法事が執行され、高田派寺院も諷経を行ったが、この時、藩から下賜された施物配分覚(勝鬘寺文書)によると、本流院を別格として、「老分十二ケ寺・中老二ケ寺・一代二ケ寺・衣座三ケ寺」と、座配寺格が決められていた。別格寺の小和田山円福寺本流院は、本山専修寺十代真慧の甥本流院真孝が入寺すると連枝格寺院となり、以来、真孝の院号を寺号として高田派の触頭となった。



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