目次へ  前ページへ  次ページへ


 第五章 宗教と文化
   第二節 越前の真宗
    二 越前真宗三門徒派と高田派・仏光寺派
      真宗出雲路派本山毫摂寺
 当寺では、宗祖親鸞が天福元年(一二三三)山城国愛宕郡出雲路(現京都市)に一宇を草創し息善鸞に付与したのに起源すると伝えるが、本願寺三代覚如の門弟、出雲路乗専が京都今出川に寺基を移したのに始まるとする説が有力である。応仁の乱後、京都を退転した善智・善鎮は越前国横越証誠寺との本末関係を頼って越前に下向し横越に寄寓したが、善鎮はやがて山本庄に毫摂寺を再興した。永正十五年、後柏原天皇の勅願寺となり仁和寺下になった。さらに天正十七年、勅願寺の綸旨を賜り、同時に粟田口青蓮院の院家となり、慶長元年、現在地(武生市清水頭町)に寺基を定めた。当寺末寺は、寛文五年(一六六五)の「末寺改一札」では徳尾常照寺・五分市城福寺など三〇か寺、正徳五年(一七一五)の「末寺中請書」(本山毫摂寺文書 資6)では三九か寺を数えた。



目次へ  前ページへ  次ページへ