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 第五章 宗教と文化
   第二節 越前の真宗
    二 越前真宗三門徒派と高田派・仏光寺派
      真宗三門徒派本山専照寺
 如道を開基とする大町専修寺より分寺したもので、専修寺三代の良金が「先祖ノ掟ヲ背」(「中野物語」)いたため、永享七年(一四三五)足羽郡蕗野保中野村に浄一を開基として創建され、如道以来の秘事法門も当寺が継承した。浄一は帆山寺(武生市)の道願の子とも、如道の三男ともいわれ、帆山の誓願寺、河北の専光寺、社の専通寺の長老等が浄一を擁立したという。天正十年(一五八二)北庄堀小路に移り、享保九年(一七二四)現在地に移転した(福井市みのり二丁目)。元禄二年「専照寺は如道開起故、親鸞上人尊敬申者は本意に背き申す」(「中野物語」)との専照寺の主張に反対して、翌年、末の専超寺・清水山専伝寺等が真宗西派に、若杉専通寺が浄土宗に転宗した。享保十六年の「当寺末寺先規坐帳之外近代之末寺数改日記」(専照寺文書)には、越前国内において新出村誓願寺・東下野村恵光寺・西大井村専蓮寺など二一か寺の末寺が記載されている。



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