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 第五章 宗教と文化
   第二節 越前の真宗
    二 越前真宗三門徒派と高田派・仏光寺派
      「中野物語」「三門徒法脈」
 三門徒教団を知るうえで欠くべからざる史料として「中野物語」(竜谷大学大宮図書館蔵)「三門徒法脈」(大谷大学図書館蔵)がある。前者は、中野専照寺の系譜を中心に叙述されたもので、筆者は元禄三年(一六九〇)に専照寺末を離れて西本願寺末となった専超寺(福井市末町)了恩と推定され、後者は、近世初期に毫摂寺の末寺から東本願寺へ帰参した仰明寺(鯖江市和田町)乗恩の手によるもので、両書ともに宝永二年(一七〇五)の成立である。両書は、三門徒派の諸寺が近年、それぞれ親鸞との血脈を求めて新説を出したと主張しているから、本来の三門徒派寺院の開創や、その特異な法儀の実態が忘れられることへの危惧の念から執筆されたものと思われるが、いずれにせよ真宗史上貴重な記録というべきであろう。
 近世初期、幕府は寺院法度を定めて寺院の本山・末寺の関係を強化し、本末制度を固定化したが、三門徒の諸寺院はそれぞれ多くても二、三〇か寺の末寺しか有しない小教団であったため、一宗一派として独立することは許されず、さりとて本願寺や高田専修寺の傘下に入ることをいさぎよしとしなかったため、それぞれ天台宗の門跡寺院の院家となって存続した。すなわち、中野専照寺は妙法院に、横越証誠寺は聖護院に、鯖江誠照寺は日光輪王寺に、出雲路毫摂寺は青蓮院に属して院家となった。



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