丹生郡には中世には密教系の越知山大谷寺や織田寺が勢力を有し、また越前高田派の中心寺院畠中専修寺がかつて存在したが、前者は近世には勢力を弱め、後者は寛永十一年(一六三四)に本末争いに破れ没落した(第五章第二節)。近世初頭のこのような変動は郡内の民衆に大きな影響を与えたとみられ、例えば旧畠中専修寺門徒の多くはその後、高田派から仏光寺派に転派した武周西雲寺、郡内・坂井郡の真宗東派寺院(法雲寺など)の門徒になったと伝えられている。また、越前四か本山から地理的に近いこともあって三門徒系の寺院が広く分布している点や、天台真盛宗の寺院が郡南部を中心に展開している点も同郡の特色である。法華宗寺院としては、京都本隆寺末寺の「末寺頭」とされ中本山格の寺格を有した平井村平等会寺が、丹生郡を中心に地域的な本末関係を展開させていた。
今立郡には真宗四か本山のうち鯖江誠照寺・清水頭毫摂寺・横越証誠寺が集中しており、郡内に三門徒系寺院が多いことが示すように中世以来真宗三門徒系の教線が延びていた。足羽川の上流山間部(現池田町域)には真宗西派一か寺に対して誠照寺末寺は四か寺が存在し、さらに誠照寺の教線は国境をこえて美濃まで伸張している。寛文二年夏から始められたといわれ、以後断続的に行われた誠照寺の美濃廻檀は、夏期五〇日余りかけて今立郡・大野郡を経て国境を越えて美濃本巣郡へ入り、揖斐郡を経て今立郡に戻るという経路をとっていた。また、郡内の真宗東派寺院の比率が他地域と比較して極端に低いことも指摘できる。 |