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 第五章 宗教と文化
   第一節 越前・若狭の寺社
    四 越前・若狭の寺社
      丹生・今立・南条郡の寺院
 丹生郡には中世には密教系の越知山大谷寺や織田寺が勢力を有し、また越前高田派の中心寺院畠中専修寺がかつて存在したが、前者は近世には勢力を弱め、後者は寛永十一年(一六三四)に本末争いに破れ没落した(第五章第二節)。近世初頭のこのような変動は郡内の民衆に大きな影響を与えたとみられ、例えば旧畠中専修寺門徒の多くはその後、高田派から仏光寺派に転派した武周西雲寺、郡内・坂井郡の真宗東派寺院(法雲寺など)の門徒になったと伝えられている。また、越前四か本山から地理的に近いこともあって三門徒系の寺院が広く分布している点や、天台真盛宗の寺院が郡南部を中心に展開している点も同郡の特色である。法華宗寺院としては、京都本隆寺末寺の「末寺頭」とされ中本山格の寺格を有した平井村平等会寺が、丹生郡を中心に地域的な本末関係を展開させていた。
 今立郡には真宗四か本山のうち鯖江誠照寺・清水頭毫摂寺・横越証誠寺が集中しており、郡内に三門徒系寺院が多いことが示すように中世以来真宗三門徒系の教線が延びていた。足羽川の上流山間部(現池田町域)には真宗西派一か寺に対して誠照寺末寺は四か寺が存在し、さらに誠照寺の教線は国境をこえて美濃まで伸張している。寛文二年夏から始められたといわれ、以後断続的に行われた誠照寺の美濃廻檀は、夏期五〇日余りかけて今立郡・大野郡を経て国境を越えて美濃本巣郡へ入り、揖斐郡を経て今立郡に戻るという経路をとっていた。また、郡内の真宗東派寺院の比率が他地域と比較して極端に低いことも指摘できる。
写真165 誠照寺(『二十四輩順拝図会』)

写真165 誠照寺(『二十四輩順拝図会』)

 南条郡にも真宗三門徒系の寺院が多いが、越前の他地域に比べて法華宗の教線がかなり展開した地域である。西大道妙泰寺・今宿妙勧寺は鎌倉末期の日像の北陸布教のさいに弟子妙文が開いたと伝えられる寺で、ともに日像を開基とし、越前における法華宗妙顕寺派の中心的寺院である。この二寺は小浜妙興寺・京都深草宝塔寺とともに日像門流四か聖跡に数えられ(『越前国名蹟考』)、多くの参詣者を集めた。南北朝期に通幻寂霊が開いた曹洞宗総持寺末府中竜泉寺は、この地域の曹洞宗の中心的寺院として宅良慈眼寺・村国興禅寺・新保宗生寺、丹生郡の土山願成寺、足羽郡の徳尾禅林寺など多くの末寺・孫末寺を有していた。府中にはそのほか曹洞宗竜門寺、越前の天台真盛宗の根本道場であった引接寺、浄土宗正覚寺、法華宗本隆寺末の本興寺、真宗西派の陽願寺など各宗の中本寺格の寺院が集中していた。慶長三年(一五九八)の「越前府中寺庵中注文」(正願寺文書 資6)によれば、府中町の寺庵数は二六(塔頭を除く)、寺庵敷地と門前地の合計面積は九町四反余で、また貞享三年(一六八六)の寺社の除地面積は一八町二反余にものぼり(「府中寺社除地之覚」武生市史編さん室所蔵文書)、府中町では北陸道西側を中心に寺院が集中していた(「府中御城下絵図」 資16上)。<表125 文化(1804〜18)頃の宗派別寺院数>



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