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 第五章 宗教と文化
   第一節 越前・若狭の寺社
    四 越前・若狭の寺社
      足羽郡の寺院
 足羽郡全体では諸宗寺院が混在して分布しており、寺院数も多い。とくに福井城下に相当する区域には近世初頭に同郡一乗谷や下総結城から寺院が移転したこともあり、他郡と比較して宗派分布に特徴は見いだせない。ただ町方と在方では分布状況に大きな違いがあり、例えば福井城下に限っていえば、城下の東端の石場寺町など足羽山北麓から南麓にかけての区域では在来の寺社に加え、一乗谷・結城から移転した法華宗・曹洞宗寺院が混在するなど、城下の一部で寺町を形成していた。
 福井城下では万治二年(一六五九)、寛文九年(一六六九)と二度の大火があったが、これを機として大規模な寺院の移転が行われた。万治二年の大火後、表御堂(西本願寺掛所)と本覚寺・興宗寺・照護寺など真宗西派寺院が柳町から城下北端に移転して表御堂町ができ、門前町を形成した。また、寛文九年の大火後の防火対策にともない、城之橋の寺町も城下東端に移った(「福居城下絵図」)。なお、真言宗寺院の比率が比較的高いのは、福井神明社を真言宗寿福院が別当寺として支配していたように、城下の木町八幡宮・松本牛頭天王・木田牛頭天王・羽明明神・天神社・黒竜大明神など諸社の別当の多くが真言宗に属したためである(『越前国名蹟考』)。<表125 文化(1804〜18)頃の宗派別寺院数>



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