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 第五章 宗教と文化
   第一節 越前・若狭の寺社
     三 宗門改と寺檀制度
      宗門改の実施と機能
 宗門改は寛文四年十一月、同十一年二月の幕令により毎年の実施が命じられたが、小浜藩では前述のように寛永十二年当初から毎年宗門改が実施されていた。小浜では六、七町ずつ八日程度を費やし、町内の八か寺が持回りで改めの会場をつとめた。町奉行は宗判の判元である寺を改め、もし自分がキリシタンならば地獄に堕ちるなどの誓約文言を含む宗門改前書を読み渡した。小浜の宗門改では自らがキリシタンではない旨の一札を提出するさいに一〇才以上の男子は血判、女子は指判を加え、誓約のあかしとした。元禄元年からは宗門改のさいの血判・指判は廃されて家主の判形のみ必要とされるようになり、日数二日で二か寺持回りとなった。同十五年からは宗門改は町会所にて一日で実施されるようになった(『拾椎雑話』)。福井藩では二、三年に一度、先物頭・使番・郡奉行等の立会いのもとで実施する「宗門惣改め」なども行われた(「御用諸式目  」松平文庫 資3)。
写真163 切死丹宗門改の一札

写真163 切死丹宗門改の一札

 藩領・年代により宗門改の方法は異なるが、近世後期の小浜藩の場合、宗門改には、(1)村中から郡奉行・代官宛請状(一一か条)、(2)五人組から郡代官宛のキリシタンでない旨の一札、(3)村中にキリシタンが存在しない旨を記した庄屋から郡代官宛一札、(4)五人組から郡奉行宛請状(一四か条)、(5)寺院から郡代官宛寺請証文、以上五種の書類が基本的には必要であった(旧西村孫兵衛家文書 資8)。このうち(1)はキリシタン禁止、宗旨替えの届出、寺僧の注進、転びキリシタン(転宗者)・類族の届出、他国牢人の届出、寺院住持替えのさいの改めと届出、奉公人の寺請・人請証文提出などの諸点に関して規定したものである。これらのことから、宗門改にさいして藩がキリシタン・キリシタン類族の摘発に名を借りて寺僧と人の移動を注視していたことがうかがえる。また(4)はキリシタン禁止のほかに徒党の禁止、不審者への宿貸し禁止、手負人・徒者の届出、一年限りの他国への出替り奉公、村中道橋普請、博奕・宝引きなどの賭け事の禁止、他国行きのさいの届出、無職人の届出などをはじめ村法の遵守に至るまで生活全般の諸事についての規定を請けたものである。宗門改の制度はこのように民衆統制のための重要な制度として位置付けられた。
 宗門改の結果を村を単位として帳形式にまとめたものが宗門人別改帳である。記載内容や様式に多少異同はあるものの、例えば近世後期の幕府領福井藩預所では一季居奉公人出替り期直後の毎年三月に作成され、帳には一家ごとの持高と檀那寺に次いで、家主・家族・下男下女等各人の名前・年齢と、一家人数・牛馬数の小計が記され、帳末には村高・家数・人数・牛馬数の総計が記載された。そしてこれらの記載内容に相違ない旨を、檀那寺と庄屋・長百姓・百姓惣代がそれぞれ帳末の証文に加判した(『越前国宗門人別御改帳』)。一回の宗門改で宗門人別改帳は二冊作成されてそれぞれ村・藩で保管・利用され、各村では縁付き・離縁・他国稼ぎ・死亡などにともなう人の増減・移動も把握されていた。宗門人別改帳は村々の戸口の基礎台帳として実質的に戸籍的機能をもち、幕府・諸藩にとっては民衆の年貢・諸役負担能力を把握するための帳でもあった。



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