目次へ  前ページへ  次ページへ


 第五章 宗教と文化
   第一節 越前・若狭の寺社
    二 本末制度と触頭制
      本末関係の成立
 中世以来の本末関係は、知識(師匠)と弟子の関係を基盤とする法流や、本末契約や地縁などの様々な要因で形成されていた。また、本寺・中本寺を中心に地域的に展開する本末関係もみられた。近世の越前において新たに開創された寺院の多くは、結城などからの若干の移転寺院を除けば真宗系の寺院であり、他宗派の寺院は少なかった。つまり非真宗系の諸宗派では、中世と比較すれば本末関係の新たな展開は近世ではあまりみられなかったことになる。
 真宗各派の場合、上寺といまだ寺号をもたない下坊主や道場主間の法流関係を基底として、彼等が寺号を取得するさいに上寺が本願寺など本寺との取次ぎを行うことによって、本寺―上寺―下寺という本末関係が成立した。また、本願寺の直参道場など上寺支配を受けない坊主分や道場が寺号を得た場合、あるいは上寺支配が弱い時は、新寺は直参の末寺となることが多く、この場合、本寺―直参末寺という単純な本末関係が成立した(第五章第二節)。
 これに対して曹洞宗などの本末関係は、知識と弟子間の法流が基本となって成立するため、より重層的な構造をとることが多かった。例えば曹洞宗越前峨山派の中心寺院であった府中竜泉寺の場合、能登総持寺―竜泉寺―南条郡土山願成寺―同郡春日野盛景寺―三方郡三方臥竜院―大飯郡万願寺村意足寺という本末関係があった。この例が示すように、本末関係は国郡・藩領をもこえて展開するものであり、本末関係において下位の寺院は、上位の寺院の住持職を輪番で勤めたり(輪住制)、上位の寺院の諸行事に出仕するなどの役務を負うことが一般的であった。本末関係は各宗派独自のものであり、各宗派内の階層秩序としての意味をもっていた。



目次へ  前ページへ  次ページへ