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 第四章 都市と交通の発達
   第三節 街道と宿駅
    五 参勤交代と旅行
      酒井忠直の参勤道中
 延宝元年八月十一日、小浜藩主酒井忠直は小浜を発駕し、二十三日に江戸牛込屋敷に到着した。この道中について「御自分日記」よりみることにする。
 八日 一番立、出発。
 九日 二番立、出発。
十一日 辰中刻(午前八時頃)発駕。三方臥龍院にて昼休み。干潟観音、上瀬大明神へ
      参詣。酉下刻佐柿御茶屋着。
十二日 辰刻出発。疋田にて昼休み。酉中刻(午後六時頃)木之本着。松岡藩主松平昌
      勝より塩鮎・柿、桑名藩主松平定重より味噌漬の五位鷺来る。木之本の浄信寺
      より御札・梨、竹生島妙覚院より一種。
十三日 辰刻出発。小谷にて昼休み。申刻(午後四時頃)関ケ原着。京都所司代永井尚
      庸より粕漬真魚鰹・菓子、不破郡岩手の旗本竹中重高より三種。
十四日 卯刻(午前六時頃)出発。墨俣にて昼休み。佐渡・墨俣・尾越の三か所で舟肝煎
      の者へ樽代を与える。加納藩主松平光永より鮎鮨・樽一荷。酉刻清洲着。尾張
      徳川光友より鮑・鮎鮨・梨。
十五日 辰刻出発。鳴海にて昼休み。申刻池鯉鮒着。福山藩主水野勝種より肴。代官鳥
      山精元より鴨・梨・柿。
十六日 卯中刻出発。岡崎にて岡崎藩主水野忠善と対面。藤川にて昼休み。申中刻御油
      着。代官鈴木重政より鯛・鱸。
十七日 卯上刻出発。御油到着の旨を老中・京都所司代へ飛脚にて遣わす。新居にて昼
      休み。代官秋鹿朝重より鱸・おこ・小蕪。船場にて秋鹿手代衆から「御馳走」を受
      ける。新居関所奉行中根正朝より梨。新居番所にて正朝と対面。渡場にて船の
      肝煎の者へ樽代を与える。浜松着。代官松平正周より和布。
十八日 卯上刻出発。天竜川を舟で渡る。袋井にて昼休み。代官雨宮勘兵衛より五位鷺
      。掛川にて掛川藩主井伊直武と対面。大井川を渡る。酉刻島田着。代官長谷川
      長春より鴨・鮎・柿、代官井出正祇より肴・柿。島田鍛冶脇指持参。
十九日 卯中刻出発。丸子にて昼休み。途中駿府町奉行大久保忠昌の出迎えを受け対
      面。駿府城代松平乗真と対面。代官諸星政照より肴。安倍川越につき諸星手代
      衆へ樽代を与える。酉下刻興津着。
二十日 辰刻出発。蒲原にて昼休み。富士川を舟で渡る。代官古郡重年より肴。古郡手
     代衆よりうるい川越の便宜を受ける。うるい川越の者へ一〇〇疋与える。酉中刻
      沼津着。大老酒井忠清より梨・粕漬の鮑。代官江川英暉鮎鮨・梅漬・諸白持参、
      対面。
二十一日 卯中刻出発。箱根にて昼休み。酉中刻小田原着。小田原藩主稲葉正則より生
       鯛。
二十二日 卯上刻出発。酒匂川越の者へ一〇〇疋与える。藤沢にて昼休み。代官成瀬
       重頼より鮑・酢一樽、代官坪井良重より鮑・栄螺。両人手代衆より馬入川舟場
       にて「御馳走」を受ける。酒井忠綱(忠直の従弟)より薄塩鮑・真瓜・梨・葡萄。
       戌上刻神奈川着。松山藩主松平定長より粕漬の鯛。
二十三日 卯刻出発。品川にて昼休み。篠山藩隠居松平康信より鴨。申中刻牛込屋敷着
        。
 この年の道中を整理してみると、宿場の出発時刻は卯刻から辰刻までの間、出発は早朝であり、時にはうす暗いうちに出ることもあった。一方、宿場に着く時刻は申刻から酉刻である。一日にすると一〇時間から一二時間の道中になる。この間、昼休みのほかに御小休と呼ばれる休憩を三、四回とるのが通例であった。
 道中、沿道の大名・旗本や幕府領の代官・奉行から挨拶や物品の提供を受け、これらに対して返礼をしている。あるいは大名との対面や親戚筋の大名からの音信もあった。昼休みや宿泊の本陣においては主人から魚介類や果物・菓子が献上され、これに対して昼休みの本陣へは金一両、宿泊の本陣へは銀三枚が与えられた。また当日の本陣以外の他宿の本陣からも肴などが献上され、これに対して金一〇〇疋が与えられた。これらを合計すると、金一七両二歩、黄金一枚、金三五〇〇疋、銀三四枚となり、金に換算して約六一両になる。



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