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 第四章 都市と交通の発達
   第三節 街道と宿駅
    五 参勤交代と旅行
      大名行列
 江戸・福井間は、東海道を通って一三二里(一里は約四キロメートル)、中山道を通れば一三七里である。この道のりを一三、四日間で往来するのであり、一日当たり約一〇里の行程である。福井藩主の場合、北陸道を南下し、今庄・木之本で宿泊し、脇往還を通り、関ケ原から中山道、美濃垂井から美濃路、尾張の宮から東海道に入り、江戸に向かうことがほとんどであったが、中山道をそのまま江戸に向かうこともあった。文化元年(一八〇四)以降、中山道通行の場合は事前に幕府に許可を得ている(「家譜」)。国元への暇のさい、日光に参詣したのち帰国することもあった。寛文三年光通、延宝五年綱昌、安永五年(一七七六)重富、天保十四年(一八四三)慶永がそれぞれ日光参詣後帰国している。越前・若狭の諸大名が北陸道で昼休みと宿泊に利用した場所の例を示すと表122のようになる。福井藩主の場合、北陸道で利用する宿場は固定していたようだが、東海道では年によって一部変化がみられる。

表122 関ケ原までの休泊宿場

表122  関ケ原までの休泊宿場
       注1 一部,中山道・美濃路を含む.
       注2 木之本宿類焼によりこの時期は小谷宿を利用することが多かった.滋賀県肥田嘉昭家文書により作成.

 行列の供立について、松平宗矩の初入国を例にあげてみる。享保十五年三月二十三日、宗矩は家老芦田賢詮以下を伴い江戸を発駕した。『国事叢記』によると、先弓二〇張、矢箱二荷、杉形槍二〇本、弓立二組、弩瓢二穂などの武具に加え、挟箱・床机・傘・茶弁当などの数多くの道具がみられる。また召替馬もみられ、長い道中のため駕篭のほか馬にも乗ったのであろう。供の数は、騎馬御供一五人をはじめとして荷物とともに先立したものを加えて士分九九人の名が記されている。このほかに足軽・中間・小者、武具や諸道具の運搬などにかかわる卒が加わった。近江伊部(小谷)宿の本陣を勤めた肥田家に残る宿割帳から各大名の宿数・宿泊人数をまとめたのが後掲表123である。これによれば、延享四年(一七四七)福井藩の下宿数は下小谷分を入れて一一六軒であり、総人数は一〇〇〇人をこえると考えられる。加賀前田家の場合、寛保二年(一七四二)藩主前田吉徳の世子宗辰の初入国では総人数一八三二人が福井城下を通行し(『国事叢記』)、嘉永元年(一八四八)には斉泰が一八二六人を従えて今庄で宿泊している(山口武助家文書)。
 荷物の運搬には宿々の馬や人足が使われた。幕府はしばしば五街道の宿人馬使用の制限を設けており、福井藩は東海道では前後三日間五〇人・五〇匹、中山道では当日二五人・二五匹、前後両日は一三人・一三匹の人馬が御定賃銭で使えた。北陸道では、享和三年(一八〇三)越前の諸大名の参勤・帰国当日の人馬について表124のように細呂木から板取、二ツ屋までの問屋で請負が行われた。この年から人馬数は寛政八年(一七九六)までの一〇パーセント減となり、これによると福井藩主参勤の場合、人足一〇二六人・馬三七一匹が請け負われた(山口武助家文書)。文政二年(一八一九)には人馬数はさらに五パーセント減となり、福井藩主参勤では人足九七五人・馬三五三匹となった(山口武兵衛家文書)。参勤・帰国では人馬は福井(参勤のみ)・府中・今庄・板取に分けられて徴発された。文化十三年、治好帰国のさい今庄に徴発された人足四五九人・馬一四四匹は府中まで使用された。

表123 小谷(伊部)宿における宿泊人数

表123 小谷(伊部)宿における宿泊人数

表124 享和3年(1803)12月の人馬請負数

表124  享和3年(1803)12月の人馬請負数
    注1 *このほか下小谷分として30軒.
    注2 滋賀県肥田嘉昭家文書より作成.

 人馬の賃銭の例をあげると、宝永六年(一七〇九)頃、勝山藩主小笠原信辰が東海道を通り江戸から帰国するさいの賃銭は、本馬一匹が銭七貫八五二文、人足一人が銭三貫九五一文、軽尻一匹が銭五貫二〇〇文であり、中山道を通るさいの賃銭は、本馬一匹が七貫二三七文、人足一人が三貫五五五文であった(赤井富士雄家文書)。また、嘉永六年松平慶永参勤における福井から府中までの賃銭は、本馬一匹が二九七文、軽尻一匹が一九八文、人足一人が一五〇文、府中から今庄まで本馬が二六二文、軽尻が一七五文、人足が一三三文であった。また同年加賀藩主帰国における板取から加賀橘までの賃銭は、本馬一匹が一貫一五六文、軽尻一匹が七七四文、人足一人が五八三文であった(山口武助家文書)。文化七年以降、福井藩は各宿場からの人馬賃銭割増願に対して、幕府の許可を得てしばしば賃銭の割増を行っており、嘉永六年の賃銭は元賃銭の四割増であった。元賃銭とは宝永年中の規定による賃銭のことである(「家譜」)。



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