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 第四章 都市と交通の発達
   第三節 街道と宿駅
    四 河川交通と渡し
      越前の渡場
 越前における渡場を貞享二年、越前国絵図作成のさいに編纂された「越前地理便覧」により概観してみよう(図25)。なお若狭においては、大きな河川があまりなく、また、橋が架けられている場合も少なくなかった。
図25 越前の舟渡場

図25 越前の舟渡場
注) 貞享2年「越前国絵図」(松平文庫)により作成.

  これら渡場には、それぞれ渡守が控え、人々の往来に便宜を図った。福井城下と足羽川対岸の橋南地区の侍屋敷とを結ぶ毛屋渡のように、川の両岸に綱を渡し、その綱を頼りとする繰舟の渡しもあった。また、大型の渡舟は耕作用の牛馬を乗せることも可能であり、馬舟とも呼ばれている(『越前国名蹟考』)。渡守は渡場により人数は異なるが、通常二、三人が交代で勤めていた。なお、丹生郡の上石田渡では延享三年(一七四六)に一八軒の渡守の家があったとされるが、その多くは川舟持として諸荷物の輸送にも従事していたのであろう(石田上区有文書)。安居両渡、白鬼女渡などは、諸役免許の特権を生かして、荷物輸送に当たる川舟業者の一大拠点でもあった。



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