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 第四章 都市と交通の発達
   第三節 街道と宿駅
    四 河川交通と渡し
      「三河戸」の規定
 文政十三年(一八三〇)六月、福井藩は、河岸場に関する規定を定めた(山内治郎左衛門家文書 資6)。それは河岸場を足羽川の福井大橋下、日野川の白鬼女、竹田川の金津の三か所(「三河戸」と呼ぶ)とそれ以外に区別し、舟上げ(川舟で河岸場まで積み上る)と川下げ(川舟で積み下す)のそれぞれについて輸送できる商品を制限するものであった。
 まず舟上げできる荷物については、三河戸では商人荷物であっても認める。しかし他の河岸場では米・雑穀・杪・柴など村用の品はよいが、それ以外の宿方にかかわる荷物は認めない。一方、川下げできる荷物については、三河戸も他の河岸場も同様に、村用の品はよいが、それ以外の宿方にかかわる荷物は認めないというものであった。
 この規定は全体として川舟輸送に制限を加え、陸上輸送業者を保護する意図を有するものであるが、そのなかでも三河戸については一定の制限緩和を行い、他方、簇生しつつあった他の河岸場を通じた商品流通には強い制限を加える内容であった。三河戸は、いずれも福井藩領に属しており、河川と北陸道とが交差する水陸交通の拠点に置かれた。そこからは、三河戸を支配下に置くことで、河川交通体系の再編成を行おうとした福井藩の意図をみることができる。



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