目次へ  前ページへ  次ページへ


 第四章 都市と交通の発達
   第三節 街道と宿駅
    四 河川交通と渡し
      争論の背景
 こうした争論が生じた理由の一つには、陸上輸送の費用が川舟輸送に比べて高額とならざるをえないことがあげられる。さらには、江戸時代も中期に入ると商品の生産と流通が活発化し、特産物をはじめとする種々の物資が商品化し、それらが荷物輸送の対象となったことがあげられる。このため、福井藩においても、商品流通の進展に対応した施策を進めることが必要となった。
 天明六年に福井藩から出された触は、越前国内産の商人荷物について、もよりの宿場から河岸場まで宿々を付け送り、河岸場から川舟で積み下すことを認めるものであった(森藤右衛門家文書)。これにより福井城下、白鬼女や金津など、水陸交通の交差する河岸場では川下げのための荷物が集荷され、諸荷物の流通は陸上交通と河川交通を組み合わせた展開をみせることになる。このため、河岸場につながる宿場とそうでない宿場では、その盛衰に大きな差が生じることとなった。また、陸上輸送業者のなかには、定の駄賃より割増しされれば川舟廻しを斡旋するものも登場し、従来は一体となって川舟業者と対峙していた陸上輸送業者の足並みも乱れるようになった(斎藤與平家文書 資5)。



目次へ  前ページへ  次ページへ