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 第四章 都市と交通の発達
   第三節 街道と宿駅
    一 北陸道と宿場
      人馬の継立て
 継立ての種類には、御朱印継立て・御証文継立て・御定賃銭・雇上げがあった。御朱印は人馬の使用を将軍が許可した伝馬朱印を押したもので、公家衆や門跡寺院・遊行上人、国々巡見御用の通行例がみられる。御証文は老中・京都所司代・大坂町奉行などが発行するもので、いずれも使用人馬数を限定せずに無賃銭で継ぎ送るものであった。御定賃銭は、宿駅の高札に前後の宿までの賃銭を記した公定賃銭のことである。これは幕府や各藩の公用通行者に適用される低廉な運賃で、無賃の継立てとともに宿駅には大きな負担となった。
 福井藩の宿駅管理は郡奉行が行い、通行にさいしては加賀前田家や福井藩松平家のような大藩、丸岡藩や大野藩などの小藩に関係なく、一日の継人足は二五人、継馬は二五匹までと定められていた。また、諸家の家中が公用で通行する場合は、一三人・一三匹であった。これ以上に人馬が必要な場合は、前後の数日にわけて、順々に継ぎ送ることとされていた。
 御定賃銭は正徳元年(一七一一)に決定され、それ以降元賃銭に割増銭を加えて支払われた。この割増銭は、災害や物価騰貴などの理由で一定期間、元賃銭を基準に加算された。御朱印・御証文などの無賃、あるいは御定賃銭による規定の人馬数を超過する時は、相対賃銭での雇上げとなった。この場合、相対賃銭は人馬使用者と駄賃稼ぎの者との双方の合意で賃銭を決めるものであるが、普通は問屋を通じて雇い上げた。相対賃銭は時価相場で、御定賃銭の二倍程度というのが普通であった。参勤交代の大名は無賃人馬を認められず、規定数の人馬使用分の御定賃銭のほかは相対賃銭で人馬を使用した。また、一般旅行者や商人荷物なども相対賃銭であった。



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