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 第四章 都市と交通の発達
   第二節 湊町敦賀と小浜
    二 湊町小浜の繁栄
      近世前期小浜の商業
 小浜が、城下町として、また敦賀同様北国と上方を結ぶ重要な湊町として発展するにつれ様々な商業も発達した。『拾椎雑話』には寛永十七年と天和三年の家職調べの結果が記されている(表114・115)。

表114 寛永17年(1640)小浜町の商人・職人

表114 寛永17年(1640)小浜町の商人・職人
注) 『小浜市史』通史編上巻による.


表115 天和3年(1683)小浜町の商人・職人

表115 天和3年(1683)小浜町の商人・職人
注) 『小浜市史』通史編上巻による.

 寛永十七年には八六の職種があげられており、家職なし一八人を含め人数は二二〇八人である。この人数は同じ頃の小浜町の家数一八〇〇軒を上回っているが、この理由については独立しては存在しえない奉公人や大工・桶屋・鍛冶などの職人の弟子が含まれているからであろうと推定されている。
 これらの職業のうち、湊町としての特色が出ている職業としては、まず船に関係したものとして舟持・水主・舟大工・舟指がある。舟持は四八人で、それらの舟に乗った水主は一六七人であったが、これは慶長七年の小浜の船数五六艘、水主数一八九に大差ない数である。天和三年には舟持四〇人、舟乗一〇九人と、若干の減少をみせている。また、「延宝・貞享の頃、小浜舟持大船四十艘斗あり、冬は北国へ冬買とて面々人を遣し穀物買込、春は出船次第積荷いたし、極りたる利分あり」(『拾椎雑話』)とあり、小浜の船持たちが四〇艘ほどの大船を所有し、北国での穀物の買い積で大きな利益をあげていたことを記している。しかし、その後「正徳年中まて二十艘斗も有し所、寛延の頃四百石以下七、八艘に成り候」(同前)と見えるように、船の数が急速に減少していった。これは、後に述べるが、西廻海運の影響で小浜湊が衰退していったためである。舟大工八人、舟指二人などもこれら舟持に関連した商売である。
 運ばれてきた荷物を扱う商売として、問屋・在宿・仲がある。問屋は小浜や他国の船で運ばれてきた米・大豆などの上り荷を取り扱った。寛永十七年の問屋の数は二四人であるが、このほかに在宿と呼ばれた地域別の船宿一一人があり、さらに米屋・四十物屋のなかにも特定の商品を扱う問屋が含まれていたものと思われる。天和三年には問屋の数は一七人となっているが、茶問屋一〇人、四十物問屋九人、小問屋六人が別に記されており、問屋としての合計は四二人となる。また在宿一〇人のほか、北国商人六人がみえる。
 背負・日雇・町持・馬肝煎・馬口労・馬遣・川舟肝煎・川舟引などは、小浜に入った荷物の運送を行う商売である。
 天和三年には職種は九九に増加しているが、人数は一七六一人に減少している。これについては、寛永十七年にまとめられていた魚屋・四十物屋・ザルフリ・背負・日雇・町持が、天和三年にはそれぞれ別々に計上されていたり、寛永十七年にあった奉公人二〇三人、漁師五〇人などが天和三年にはなかったり、逆に天和三年には寛永十七年にはなかった瞽女や座頭がみえていたりすることから、調査の基準が異なっていたことに起因していると思われる。
 さて、湊町に関係する職業以外のものについて衣食住別に分類してみると、まず、寛永十七年においては、衣に関係する職業に紺屋・絹屋・呉服屋、履物に関係するものとして足駄屋・雪駄・草履、雨具を扱う傘屋・箕売、その他煙草屋や化粧品・
 櫛などを扱う小間物屋があった。食に関係するものとしては、魚屋・四十物屋・米屋・麹屋・酒屋・油屋・飴屋・餅屋・塩屋・豆腐屋・麦屋・酢屋・青物屋・菓子屋・饅頭屋・味噌屋などがみえる。住に関係する職業には、まず、家大工・桧皮・木挽・材木屋・左官など家の建築に関係するもの、桶屋・鍛冶・塗師・筆屋・畳屋・白銀屋・紙屋・桧物屋・篭屋・針金屋・指物屋・表具屋・蝋燭屋・箔屋・鏡磨など家具や雑貨を扱うものがあった。医療関係には医者・木薬屋・針立があり、宗教に関係した山伏・鉦叩、絵馬屋もこれに含まれるかもしれない。さらに舞々・猿回しなど娯楽に関係したものや手習子取など教育に関係したものなどもみられる。
 その他、主として侍のための職業としては刀の磨屋・馬鞍指・矢矧屋・刃物鍛冶などがあり、また、周辺の農村の求めに応じたものとしては、鎌鉈取売・鍬鍛冶があった。
 天和三年に新たに出てきた職業をみると、衣関係では木綿屋・羽織屋・綿帽子屋などがあり、食関係では茶商人・茶問屋・蒟蒻屋・素麺屋・倹飩屋(麺類を扱う)・湯波屋など、住関係では荒物屋などがある。これらのうち、茶は美濃・伊勢・近江・丹波などから入ってきたものを、木綿は畿内で作られたものを北国へ積み出す中継地となったために、扱う問屋や商人が増えたものである。医療に関するものとしては外療・眼医者があり、田畑の肥料となった石灰を扱う石灰屋も出現している。侍のための職業としては柄巻屋・鎗屋・鞘師・小刀鍛冶が新たなものである。その他、藩や幕府による升・秤の統制にともなって升屋・秤屋が出てきている。



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