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 第四章 都市と交通の発達
   第二節 湊町敦賀と小浜
    二 湊町小浜の繁栄
      下り荷
 小浜から北国諸藩などに送られた下り荷には、敦賀同様茶や木綿・繰綿などの手工業品があった。当時の茶の主要な産地は美濃・伊勢・近江・丹波・若狭であったが、丹波茶については「寛永の頃小浜へ初て丹波より茶を売に来り、二つ鳥居町丹波屋惣兵衛にて売候」(『拾椎雑話』)とあり、寛永年間に初めて丹波から茶がもたらされた。小浜の商人で『拾椎雑話』にもみえる塩屋弥右衛門は、山形・庄内・秋田等の米、長岡の蔵大豆等の穀物のほか、北国からの材木等を船主から受け取り、逆に美濃茶などの下り荷を荷主の依頼によって仕入れて船主に渡している。美濃茶については、延宝年間からの史料がみえる(船渡源兵衛家文書)。寛文十年、小浜で茶の新市が立ち、敦賀の問屋たちがこの動きに反対しており(「寛文雑記」)、また元禄元年には美濃茶仲銀、同十一年に丹波茶仲銀が始まっており(『拾椎雑話』)、この頃に茶の取引きが盛んになっていったことがうかがえる。
 木綿は十七世紀半ば以降に庶民の衣料として普及しだし、主産地であった畿内から北国に送られた重要な商品であった。延宝八年九月六日付の「御米請払之目録」(船渡源兵衛家文書)によれば、塩屋弥右衛門は、北国からの登米六五三俵を代銀一七貫一三七匁余で受け取り、そこから下り荷として木綿とその染め賃、筵・釘二〇〇〇本等の代と仲銀など合計八貫四五八匁余を差し引いて、八貫六四九匁を船主に渡している。



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