目次へ  前ページへ  次ページへ


 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    四 城下町の生活
      町人の娯楽
 町人の娯楽の一つに芝居や見せ物があった。福井木田町の橘宗賢は芝居が好きであったようで、彼が明和六年(一七六九)から安永四年(一七七五)までのことを記した「伝来年中日録」(県立図書館文書)には芝居の記事が目立つ。木田町に近い立矢町には芝居小屋があり、例年三月から八月あるいは十月まで芝居が催されていた。また、明和六年木田八幡で大相撲が行われたり、八年十月には三橋長運寺で浄瑠璃がありはやったことなどが記されている。
 寺社の開帳のさいに境内で芝居などを興行することもあったようで、明和七年四月十五日から五月十八日まで行われた勝見の白髭社の開帳には軽業芝居  が興行され、翌年三月にも福井大仏の境内で軽業芝居があり、大変上手なので賑わったようである。安永二年三月には愛宕山松玄院で軽業芝居  ・猿芝居、見せ物小屋が二つ出ている。
 その他、明和六年には府中で操り芝居、三国で大相撲興行、八年には三国出村で曲馬乗、三国神明前で操り芝居がそれぞれ行われたことが記されており、宗賢はおそらく見物に行ったものと思われる。
 さらに、明和八年三月下旬に京都に伊勢神宮のお札が降ってきて伊勢参りが流行し、大坂・兵庫・西宮あたりでは四月から五月にかけて一日に一三万人の人が伊勢参りをしたと記されている。これに刺激されて、福井からも参宮する者が多かったようである。ただ、寺社参詣のなかには、大野二番下町の借屋に住むそよという女が、寛政十一年(一七九九)に「極困窮ニ付西国順礼ニ罷出申度」と願書を出している例もあり、娯楽とばかりはいえない面もある。



目次へ  前ページへ  次ページへ