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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    四 城下町の生活
      勝山の商家の一年
 勝山袋田町にあって町庄屋も勤めていた松屋は、勝山町内のみならず中野俣村・堂島村・清水島村などにも高を所持していた地主であるが、醸造業や質屋(金融業)も営んでいた。同家の天保十四年(一八四三)の「年中行事」には、おもに商売のことが記載されており、商家のあわただしい一年がうかがえる。
写真134 勝山町絵図

写真134 勝山町絵図

 まず、正月は、元旦に供を一人連れて延勝寺などへ年頭の挨拶に行き、二日から仕事にかかり、掛集帳の筆写、翌日にかけて棚卸しをした。四日には登城し年頭の挨拶。五日には棚卸しを手伝った者たち合計二七家を招いて食事を振舞い、六日には在方庄屋たちにも振舞った。七日には家中や町方、八日からは在方の得意先へ年頭の挨拶とともに新しい通を持参した。十七日には年内の掛不足や小作米を記帳し、二十日には掛集人を遣わした。二十五日には味噌・醤油の在庫を調べ、原料である米・大豆・小麦を調えた。
 二月には、雪が消えてから土蔵の壁を吟味して塗り替える、火の用心に心掛ける、彼岸過ぎに持分の山林や田地を見分し境界や田の形や数を調べておくことなどが記されている。この時に作成されたと思われる数冊の持高帳には、田畑の略図も記されている。三月には木綿を買い入れ、八十八夜前に白山麓牛首村の算用をした。四月には翌年の通帳面の仕立てを始め、帳面類を綴った。五月には梅干しを作り、傘を張り替えた。六月には、土用前の天気をみて、よければ家族の食べる分を残して残りは売り払い、天気が悪ければ囲い置くことが記され、二十日過ぎから請求書に取り掛かった。
 七月には、一日夜から店の帳面の算用に取り掛かり五日夜までに済ませ、二日に金銀貸方や小作米不足の人別を調べ、六日より在方へ請求書を出した。また、盆の贈答品も六日から十日の間に贈った。九日・十日に掛集帳を調べ、十一日から掛集人を遣わした。十四日の夜は早仕舞いで、簾をおろし、提灯に火を入れた。十五日には羽織袴で家中へ盆の挨拶に出かけ、七つ時(四時頃)から延勝寺・西善寺へ参詣、町方の諸家へ挨拶を済ませ日暮れに帰宅した。八月には、十日に毘沙門祭礼があり一八家を招いて振舞い、十七日の夜には翌日の相撲見物のため神明境内の場所取り、十八日に弁当・酒持参で相撲を楽しんだ。翌十九日から晦日までの間に居宅・貸家の屋根葺きを行った。九月は、節句過ぎから帳面を綴らせ、中野俣村に三晩泊りで小作米取立てに行き、庭木や家のまわりの冬の用意をさせた。また、十月の初めまでに四九家を招いて報恩講を行った。
 十月には、二日に通の清書、二十日には実子講と称して親戚一五家を招き振舞い、また、同月中に二晩泊りで堂島村に小作米取立てに行き、町在で小作米を納めない者を調査した。餅米の用意もさせた。十一月二十七日には、延勝寺・西宮寺・正覚寺へ蝋燭・炭・米などを寄進した。
 十二月の初めから請求書に取り掛かり、十日の前に小作米・金銀貸方を帳面に付け、蚊帳貸賃米の取り集めも行った。十四、五日頃から十九日まで店の帳面の算用、二十日に煤払い、二十一日から在方へ請求書を送り贈答品も贈った。二十二日に餅つきと通の取集め、二十四、五日に取集帳を付け、二十五日夜に掛取人と打ち合わせ、二十六日から掛け集めさせた。また、仏具を磨いたり正月の数子を漬けたりした。二十七日朝には小作米・金銀貸方を残らず取り調べ、支払いもこの日からした。大晦日は、仏壇を掃除したり、天神様を出して鏡餅を飾ったり、正月に寺へ持参する物の包装をしたり、贈答品をもらった家への挨拶をしたりで忙しい一日であった。



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