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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    三 城下町の商工業と町人の負担
      大野の商工業
 大野の商工業は、一部ではあるが、寛政元年(一七八九)の巡見使宿泊の時の史料から推測することができる。本陣に宿泊する侍たちのために指名された業者に、両替屋五人、米屋五人、菓子屋五人、魚屋六人、八百屋六人、豆腐屋二人、細物屋八人、麺類屋四人、草履草鞋屋四人、洗濯屋二人、仕立屋二人、町医者・針立座頭四人、髪結一人などがあった。その内容は、両替屋が金銀両替のほかに酒類・茶、米屋は米・味噌・大豆・小豆・麦、菓子屋は饅頭・餅・氷砂糖・白砂糖・きなこ・生菓子など、魚屋は干魚・塩魚・生魚のほか塩鳥類、八百屋は青物・干物類・香の物・麸・塩・油、豆腐屋は寄豆腐・蒟蒻・酢・醤油・蝋燭、麺類屋はうどん・蕎麦切り・切り麦、草履草鞋屋は馬の沓・刻み煙草・火縄のあつらえであった(宮澤秀和家文書)。
 巡見使の宿泊という特殊事情のもとであり、酒屋や油屋・塩屋など指名されていない業者が扱うものも含まれているが、当時の商工業の一端をうかがうことができよう。



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