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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    三 城下町の商工業と町人の負担
      商工業の中心
 城下町は地域の商工業の中心であった。このことは、村明細差出帳に記された記述からも知ることができる。丹生郡の上大虫村・片屋村・余田村・道口浦のものに諸用は府中で達することが、同郡天王村のものには「諸用等ハ福井府中ニ而」と記されている。また、南条郡の白崎村・東谷村の史料にも、諸用は府中で済ますことが記されている。白崎村のものには、府中の市日が毎月四日・八日・十四日・十八日・二十四日・二十八日であったことも記されている(白崎区有文書など)。
 大野郡では、志比原村・堀名中清水村の明細帳に、近郷の市場は勝山城下であることが記され、後者には勝山の市日が一日・六日・十一日・十六日・二十一日・二十六日であり、「万事諸商事此所ニ而仕来申候」と城下ですべての用を済ますことができたことも記されている。さらに、横倉村のものには、薪を勝山まで運んで売ることが、西俣村のものには、芦見村から勝山へ柴などを運搬することが記されており、城下は物を買うだけでなく、周辺の農民が物を売りに行く場所であったこともわかる。さらに、本郷村のものには、田畑の肥料として勝山で灰を買ってくることも書かれている(小林廣家文書など)。



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