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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    二 町役人と町政
      十月から十二月
 十月は二十五日頃に「香代」を集め、五月と同様に差し出した。十一月九日に冬成を取り立て、十日に勘定した。中勘定値段が決まったら、町内地子値段をつけ、帳面にもしたため、通も集めるよう一八町へ触れ、日限も触れた。この頃、御頼火消道具修繕代を受け取った。晦日の夜に酒屋年行司・仲頭に若狭へ送る酒の値段をつけ出した。また、雁を江戸へ遣わす時は、町中雪道をならし幅広くするよう触れた。御館の雪掻人足を出すのもこの頃からで、三〇人ずつ三度合計九〇人出した後は一〇人ずつしか出さない定めであり、一〇人ずつの場合は何度でも出すような定めであった。
 十二月の五日・十日・十五日・二十日は前日に取り立てた地子を上納する日であり、二十五日にこれらの仕切を行った。二十日までに室役銀を集めさせ、繰屋役銀の残りなど諸役銀を催促し、月抜水門年賦銀・長善寺祠堂利息を取り立てた。二十日過ぎには未進を決め横目中へ書付を渡した。二十二日頃に受取手形をしたため勘定所へ出し、それぞれ受け取った。札所居宅掛り銀・諸下賜物はそれぞれへ渡した。
 これ以外にも、一月七日や三月三日など節句の日や毎月一日・十五日には家中への挨拶や役所へ出仕しなければならず、さらに、町奉行からの触の伝達、各種訴訟に関する事務、出生・死亡・引越・他所稼・逃亡・勘当など戸籍に関する事務、土地・家屋の売買に関係する事務、風俗の取締りなどがあった。



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