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 第四章 都市と交通の発達
   第一節 城下町とその構成
    二 町役人と町政
      四月から九月
 四月十七日に権現様の祭礼があり、町々へ例年の通り湯の花・篭提灯の触を出した。晦日から前年の未進を取り立てた。
 五月は二十五日に「卜香代」を集め、以前の帳面と引き合せ、「香代」の分は勘定所へ納付し、与内は本町・大黒町の歩行へ渡した。同日、虚無僧集銭、十八神道散銭も集め、それぞれ役所・総社へ渡した。
 六月五日に夏成を取り立て、晦日に御封付手形を取り立て勘定所へ納付し、受取証文を番所にてそれぞれへ渡した。六月中から七月初めに大野藩主の休泊がある場合は、白山堂前で出迎え、饅頭を献上し、出発の節は門前から北府の大橋のたもとまでの間で平伏して見送った。丸岡藩主の場合も同様であったが、饅頭の献上はしなかった。
 七月初旬には、糸繰屋への役銀の催促や上市庄屋へ用水人足の要請を行った。十一日には盆前に役銀を集めるよう十人頭へ申し渡した。この頃勘定所へ湯口受取手形・人足手形を出した。割の不足がある場合は十五日に歩行に集めさせた。
 八月は十一日に惣庄屋の寄合で鬮引して祭礼の人足割を行い、町内集銭をさせた。十三日に十人頭へ町内の御神灯を申し付け、月番庄屋へ神輿渡御の節の供を申し付け、十六日に御神灯油代・張替代、山伏町釜料・湯花料を持参し総社へ出役した。その後、京都愛宕火防札代を集めさせた。
 九月は十五日に秋成を取り立て、十六日に差し出した。この頃本保代官が検見で通行する場合は挨拶に出た。また、例年二十日までには猫毛付帳面を差し出すよう一六の町へ触を出した。



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